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空き店舗を活かす「ビル泊」の可能性

「自分の店にも、まちにも、そして家族にとっても本当によい取り組みだと実感しています。数年前まで、この階には母が独りで暮らしていたんですよ。それがまさかこんなふうに変わるなんて」

こう語るのは、刃物専門店「政豊」を営む沼田千晴さん。2階にある店舗から3階へつづく階段を上り、「ビル泊」と書かれたプレートの掲げられた扉を開けると、そこには別世界が広がっていました。

日本有数の商店街にも
空き店舗増、来街者減の波

人口約70万人の政令都市・静岡市は駿河湾に面し、三保の松原と日本平から見える富士山の絶景で知られる観光都市の一面を持ちます。また、江戸幕府開祖の徳川家康が人生の約3分の1を過した地であり、幼少時代に教育を受けたとされる臨済寺、元服式を行った静岡浅間神社、大御所時代に居城となった駿府城など、家康公ゆかりの名所を多数有する歴史のまちでもあります。

静岡駅から徒歩圏内で行ける静岡市中心街は、古くから城下町として栄えた商業のまちであり、市民は親しみを込めて「おまち」と呼びます。呉服町名店街、紺屋町名店街、呉六名店街、七間町名店街の4商店街(静岡市中央商店街連合会)は市民の買い物と娯楽、集いの場として長らく愛されてきました。

東京からも名古屋からも、新幹線でおよそ1時間と至近距離にある静岡市。この地の利の良さが魅力でもありますが、都市間競争という観点からはそうとばかりもいえません。買い回り品の買い物はもちろんのこと、これからの静岡を担う若者が就職先を求めて大都市圏へ流出しやすいのです。

商店街の来街者数も減少傾向にあります。「2022年度静岡地域中心市街地通行量調査」によると、1996年から継続調査している58地点の通行量を100とした場合、2022年度は67.9にまで減少。そこにコロナ禍が襲ったのです。

「これまでは空き店舗ができても、すぐに新しい店が入居しました。しかしコロナ禍以降は急速に空き店舗が増え、なかなか埋まりません。物販店の数が減り、飲食店にはコロナ禍の影響が直撃しました。体験を売りにした新しい業種が商店街に求められています」

こう語るのは、静岡市中央商店街連合会会長の服部功さん。静岡おでんには欠かせない黒半ぺんほか、近隣の港から揚がる魚を加工販売する「服部蒲鉾店」の店主として、おまちで商い、にぎわいづくりに努めてきました。

「空き店舗問題、なかでも2階以上の物件は空いたままになりがちで悩みの種でした。しかも防火を目的に50年以上前に建てられた共同ビル、いわゆる“防火ビル”が多いのもおまちの特徴です。区分所有だから大規模な改築がやりづらい。修繕しながら維持していきたいのですが、新しい事業がなければなかなかそれでもできません」

そう考えていた服部さんのもとへ、ある顔見知りの事業者が訪ねてきたのは2019年のことでした。

「静岡が持つ良さを生かして
全国で戦える観光地にしたい」

静岡市内で事業用不動産の仲介などを行うCSA不動産は2010年設立。静岡県菊川市の出身、創業者で社長を務める小島孝仁さんは、事業を通じて静岡駅周辺のにぎわいづくりに努めてきました。

しかし、近年は前述のとおり中心街でもシャッターが目立つようになっていきます。この状況を打開しようと、小島さんが着目したのが「観光客」という新しい消費者の創出でした。

最初に取り組んだのが、静岡駅から電車で2駅7分、静岡市西端の小さな港町、用宗(もちむね)ならではの持ち味を生かした観光開発です。駿河湾に面した浜は海水浴場としてにぎわい、シラス漁で知られる用宗漁港には多くの人々が新鮮なシラスを求めて訪れます。海と山が織りなす自然景観と細い路地のあるまちなみはどこか懐かしく、独特の景観を楽しめます。

しかし、近年ではその懐かしい街並みも空き家が増え、家屋の取り壊しなどにより独特の景観が失われつつありました。そこで同社は観光施設を企画・運営する会社としてCSAtravelを設立、2017年より用宗の路地に残る空き家を活用し、観光資源として再生する事業に取り組んでいきます。

古民家をリノベーションした一棟貸しの宿泊施設「日本色」と地域色豊かなフレーバーを取り揃えたジェラートショップ「LA PALETTE」を皮切りに、飲食店集合店舗「みなと横丁」、さらにはクラフトビール醸造所を併設した「用宗みなと温泉」を開業。3棟から開業した日本色も8棟に増え、多くの静岡市民から注目される存在となり、観光地として新たな需要を生み出しつづけています。

事業を通じて多くの事業者との人脈を育み、静岡市中心市街地活性化協議会では委員を務める小島さんが次に着目したのが、中心街の空き店舗・空き区画の活用でした。ここでも、「静岡を全国で戦える観光地に」という思いに揺るぎはありませんでした。

空き店舗・空き区画を
新たな需要創出に活かす

「用宗の開発で得た経験で、宿泊や観光が静岡の経済を元気にできると手ごたえをつかみました。でも、それをまちなかのどこでやれるのか……と考えながら空を見上げたら、商店街の空中階に見つけたんです」

こう語るのは、CSA不動産とCSAtravelの両社で専務を務める池谷友希さん。まちなか分散型ホテル「ビル泊」誕生のきっかけは、日ごろのお客様であるまちなかの事業者の悩みを解決したいという思いにあったといいます。

商店街に点在するビルの空き区画を客室としてリノベーションし、従来のビジネスホテルとはまったく異なるコンセプトを持つ客室として再生させる「ビル泊」ですが、空き区画を客室としてリニューアルするには費用も掛かります。そこで、事業立ち上げにあたっては中小企業庁が公募していた補助事業「商店街活性化・観光消費創出事業」を申請することにしました。

これは商店街を活性化させ、魅力を創出するため、近年大きな伸びを示しているインバウンドや観光といった、地域外や日常の需要以外から新たな需要を効果的に取り込む商店街の取り組みを支援する事業。地域と連携して魅力的な商業・サービス業の環境整備等を行い、消費の喚起につなげることを目的としています。

その要件として商店街組織との連携が必要であることから、静岡市中央商店街連合会と共同で申請。晴れて採択され、事業経費の3分の2の補助を受けられることになりmした。開業は2020年3月。コロナ禍の逆風のなか、4カ所7室でスタート。冒頭の「政豊」もその一つです。

お客様、家主、まち、事業者
すべてに新たな価値をもたらす

ビジネスモデルとしては、家主が費用を負担して物件を補修・改装し、それをCSAtravelがテナントとして借りてホテル業務を受け持ちます。家賃は相場より若干低めですが、長期間にわたる賃貸ができ、設備が更新されることで建物の寿命も延ばすことができます。家主、事業者、そしてまちの三方よしの事業モデルといえるでしょう。

もちろん宿泊客も、この事業の受益者です。「街をたのしむ、旅をみつける」をコンセプトとするビル泊ならではの新たな体験を楽しむことができます。

ビルの外観からは想像できないラグジュアリーな室内演出がそれぞれの客室ごとに施され、そこはまるで大人の秘密基地のような非日常空間が広がります。そして一歩外に出れば、そこではまちが本来持つ魅力を発見でき、味わうことができるのです。

利用客はまず、JR静岡駅から地下直結のレセプションでチェックイン。ホテルスタッフにまちなかを案内してもらいながら、それぞれの客室に入室します。家族づれ、友人どうしなどグループで、さまざまな利用方法で宿泊できます。

たとえば「政豊」にある79.24㎡の客室は最大7人が宿泊できるグループルームで、家族や友人とくつろぎながらゆっくり過ごせます。部屋からは商店街が見下ろせ、宿泊者専用の屋上テラスではBBQも楽しめるといった具合です。

宿泊料金は1人あたり素泊まりで1万2000円ほど。時季や宿泊人数によって変動します。コロナ禍中の開業となりましたが、国内外のリピーターも現れはじめており、「静岡で出会ったカップルの新婚旅行として利用いただいたお客様や、全室制覇したいと何度も利用いただくお客様もいらっしゃいます」と、CSAtravel事業推進部長の横山徹さんは手ごたえを感じています。

また、池谷さんも「利用いただき静岡の良さを知っていただき、いつか移住につながるようになってほしい」と目標を語ります。この4月から開設したウェブサイト「エキサイトダウンタウン静岡」によるローカル情報発信も、目標実現への足掛かりの一つです。

現在、客室は6カ所10室に増加。静岡のおまちはこれまで負の資産とされてきた「空き店舗・空き区画」を活用することで、観光地として新たなにぎわいと需要を着実に創出しはじめています。

まち商人として
にぎわいづくりに努める

1924年創業の老舗刃物専門店「政豊」の4代目、沼田千晴さんが家業を継いだのは2008年の42歳ときのこと。大学を卒業すると自動車メーカーに就職し、静岡を離れた。父親が体調を崩したことをきっかけに家業を継ぐ覚悟を決め、静岡に帰ってきましたが、まちには自身が育ってきたときのにぎわいを感じられなかったといいます。

まちにかつてのにぎわいを取り戻したいと、当時注目を集めはじめていた活性化事業「まちバル」を無我夢中で立ち上げました。現在では、個人や企業、商店街、行政などオール静岡で組織される「I Loveしずおか協議会」の会長として、まちのにぎわいづくりに取り組んでいます。

沼田さんが「ビル泊」の構想を語る小島さんの話に可能性を感じたのも、同じ危機感があったからかもしれません。そして、沼田さんも一個人として悩みがありました。

防火ビルとして政豊ビルが完成したのは1969年。それから半世紀以上が経ち、ビルの老朽化も目立ちはじめていました。その3階まで母に階段を上がらせて住まわせるより、もっと快適な環境で暮らしてほしいという思いです。

かといって3階を賃貸物件としてテナントを募集しても、なかなか借り手が見つかるとも考えづらい状況です。まちがにぎわいを失えば失うほど、その可能性は下がります。沼田さんがビル泊に取り組むと決断するのに時間はそれほどかかりませんでした。

「母は暮らしやすくなり、宿泊客が店に興味を持ってくれて、買い物をしてくれるようにもなりました。もっとビル泊を広めて、観光に訪れるお客様が増えていけば、まちにももっとにぎわいが戻ると期待しています」

地域の事業者はその土地に根づいた存在であり、まちのにぎわいと店の繁盛は正の相関関係にあります。だからこそ、まちの商人は地域のにぎわいのために努めるし、まちを愛するのです。

「小売商人は消費者の身近かにいて、職能としての深い知識と、親しい隣人としての誠実さで、消費者の経済をしっかりと守り、その日常生活をより豊かにして、暮らし良い明るい社会をつくることが与えられた使命である」とは、商業界草創期の指導者の一人、岡田徹が起草した日専連信条の冒頭の一文です。

日専連(日本専門店会連盟)とは、地域に根づく「専門店」で組織される商業者団体。沼田さんが所蔵する静岡専門店会もその一つです。彼が構想の段階からビル泊事業に賛同し、自らも取り組んだ大きな理由もおそらくここにあるのでしょう。

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