お菓子の売れなかった日
1937年、後の「六花亭」店主、小田豊四郎は、体調不良の叔父から「帯広千秋庵」の経営を引き継ぎました。当時、帯広は人口が3万8000人余、戸数にすると6500戸ぐらいの小さなまち。それでいて豆やビートといった原材料に恵まれていたことから、すでに多くの同業他社がいました。
本店の札幌千秋庵の店主から経営について教えられたことは二つ。「一生懸命に稼いだら必ず飯は食える」「どんなに高くてもいいから一番良い材料を使って美味しいお菓子を作れ、100個しか売れないときは儲からないけれど