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古舘伊知郎初の小説「喋り屋いちろう」の読書感想文を書いてみた

古舘さんのエピソードで僕がいちばん好きなのが、アナウンサー駆け出し時代の話である。今より圧倒的に勢いのあったテレビ局に存在した、先輩から受けた厳しい指導や上下関係のエピソードは、いかにも放送局というかんじで、地方の小さなラジオ局で育った自分にはとても羨ましく思えるからだ。豪快で、おおらかで、理不尽。例えて言うなら、室温40度の中でヒンズースクワットを繰り返す昭和の新日本プロレス道場伝説のようなもので、こういう話は無茶苦茶であればあるほど面白い。

さて、「喋り屋いちろう」は、古舘さんがテレビ朝日に入社してからアントニオ猪木と出会って、プロレス実況で売れる時期をベースに書かれた自伝的小説である。僕にとっては過去に聞いたことがあるエピソードがほとんどだが、やはり大好物は何度食べてもおいしい。しかも、小説という味付けは初めて。これは実話、これは作り話、と考えながらページをめくる作業は楽しくて、読み終えるのが惜しかった。社内に理解者がいない若き日の古舘さん(作中では主人公いちろう)が文化放送のみのもんたさんのカバン持ちをする話は、会社に内緒でキックボクシングのジムに通った佐山聡に重なる。

そして、最も興味深かったのは、メイン実況の座を先輩から受け継ぎ、古舘節を確立するくだりだ。「試合をなぞるだけではなく、自ら試合に入り込む。自分が無になって、猪木と一体化する」という感覚を身に付けた古舘さんは“過激なアナウンサー”と呼ばれ、瞬く間に売れっ子になっていく。その姿に魅せられた一人が僕だ。プロレスのアナウンサーが目利きの業界人を次々と味方に引き入れて成功する物語は、話の展開を知っていたとしても痛快だ。

もちろん、印象的なのは成功の話だけではない。マラソン中継のレポートで失敗した後、アナウンサーとしてプロレス実況だけで終わってしまうのではないか、と不安を先輩に吐露する場面にはページをめくる手が止まってしまった。密かに恋心を持っていた先輩に笑われて涙を流すエピソードは作り話だろうが、抱いていた不安はきっと本物だったに違いない。なぜなら、当時の古舘さんの悩みは、僕が、今感じているものだからである。

人生には予告編がある、という言葉がこの小説には何度か登場する。20歳のときに古舘さんと奇跡的に会うことができたのをきっかけに僕は「実況」の道を歩いているわけだが、あの体験が予告編だとすると、本編は「喋り屋」として古舘さんと仕事をすることだと思う。しかし、思い描く本編は始まらないまま、もう僕は50歳を迎えてしまった。実際に歩いてみると、古舘さんがいる地点まで行くのは本当に難しいことがわかる。でも、この本を読むと、たとえ届かないにせよ、再会を目指すには古舘さんがいる所に向かって進むしかないように思う。行けばわかるさ、と猪木に言われて踏み出した「いちろう」のように。


追加情報
古舘さんが局アナ時台に歌った「燃えろ!吠えろ!タイガーマスク」の実況versionがYouTubeで公開中。なんと、THE 2の古舘佑太郎さんがギターで参加してくださっています。


楽曲はiTunes やSpotifyなどで配信しています。





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