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自分を信じる

たとえば写真でも、誰からも「いいね」と言われなくたって、自分が「いいね」と思ってるならそれでいい。逆に色んな人から「いいね」と言われても自分が「いいね」と思っていないならそれは失敗だ。

他人からの「いいね」は時に力になる。けれど中には「いいね」を使って人を操ろうとする人間もいる。写真に限った話じゃない。誰だって褒められれば嬉しいし、褒めてくれた人に何かお返しをしたくもなる。その「お返し」を求めるためだけに「いいね」を使う人がいるし、自分も同じように「いいね」を使ってしまう可能性がある。

そうやって自分や他人を操作しようとする「いいね」から距離を置くためには、誰からも操られることのないよう自らの精神を清潔に保つには、何より自分を信じるしかない。

自分を信じられない人間は、他人からの「いいね」を得ることでしか自分を支えることができない。それゆえに他人からの「いいね」を得るためには手段を選ばない。noteにもそういう人はいる。見境なくスキを付けて回るような人間だ。その見返りにどれだけ多くのスキを集めていようと、自信が無いからそういうことをしているのだろう、という風にしか僕には見えない。

自信という言葉は、自分を過信するという意味でも、自分の力を必要以上に高く評価するという意味でも、自分の権力をひけらかすという意味でもない。自分が感じたこと、自分が考えたこと、たとえそれが他の人にとっては正しくなくても、自分にとっては正しいのだと信じることだ。いいとおもったものはいい、よくないと思ったものはよくない。そしてそれを貫き通すのは、そうやって自分を信じている僕だからこそ信じてくれる他人がいるから。

自分を信じていない人間にすり寄ってくるのは、結局のところ利害関係が一致しているだけの人間。自分を敵に回したくないだけの人間だ。そんな空虚な人間関係は僕には必要ない。

そして何より、自分を信じている人間だからこそ、その人物からの「あなたという人間が好きだ」という言葉に意味が宿る。「僕は自分を信じているからこそ、あなたのことが好きな自分も信じて疑わない」という力強いメッセージになるのだから。

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