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【映画鑑賞記録】2001年宇宙の旅

宇宙を舞台にした作品が結構好きでよく観る。宇宙が舞台になっていればそれだけでもう興味を持てる。エイリアン然り、ガンダム然り。ただその中で作品の好き嫌いとは全く別のベクトルで「宇宙レベル」という個人的な評価指標がある。

そういう意味ではエイリアンもガンダムも宇宙レベルは「低い」作品だ。ではどういう映画を「宇宙レベルが高い」と判じているのか。端的に言えば「宇宙は地球よりも圧倒的に広大であるがゆえに、地球人の理解を遥かに凌駕・超越している」という観点があるかどうかだ。100億年以上経過していると推定されている宇宙の歴史において、地球人が積み上げた文明の歴史など1%にも満たない。その程度の知識の積み重ねで全貌を把握できるほど宇宙は単純な構造ではないはずだ。未だに宇宙は地球人にとって完全に未知の世界であり、地球人の理解を超越している、と僕は思う。

「宇宙人はいるか否か」という話題も、それ自体が極めて陳腐だと感じる。「~人」という発想がそもそも地球的過ぎる。仮に地球における「生命」に近しい存在があったとして、それは現時点での地球人で知覚・認識できるものだろうか。地球人が認識していないだけで、「それ」は既に身近に在る可能性がある。

それが僕の「宇宙観」なのだけど、初めて「そうそう、そういうことなんだよ」と共感を覚えたのがアンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」や「ストーカー」だった。そんな作品にお目にかかることは二度とないだろうなと思っていたのだけど、ずっと敬遠していたキューブリックの「2001年宇宙の旅」がドンピシャだったのは意外だった。これ、邦題が良くないね。「中途半端な半ドキュメンタリーかな」という変な先入観があって避けてた。

猿人に進化をもたらす「モノリス」が最後まで意味不明な存在であることが素晴らしい。あれを「難解」と解釈すること自体が間違っている。まだまだ地球人が培った知識程度では理解不能な「なにか」がある。その「無理解を理解する」ことができるかどうか。

宇宙を学術的に捉える話も結構興味深いし好きだったりするのだけど、一方で「現段階の地球人の知見程度で宇宙の全貌を把握しようとするなど笑止」と感じている自分もいる。

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