写真の美しさと被写体の美しさを混同しない
混同するな、という話ではない。僕は混同していない、区別したい、区別しているつもりだ、という話。ポートレートならばなおのこと。
なぜならモデルさんたちは基本的に元から美しいのだから。美しい人が美しく映るのは当たり前のことだ。なんでも創味シャンタンを入れれば美味しくなる、というくらい当たり前のことだ。
いや、待ってくれ、創味シャンタンを入れればなんでも美味しいなんてのは思考停止だ、全部同じ味になるだけじゃないか、そもそも味覇というものがあってだな、、、というような議論の余地はあるかもしれないが、それにしたって創味シャンタンを使えば誰が料理しても同じ味になるわけではない。創味シャンタンが料理人のセンスや工夫を生かすか殺すか、結局は料理人次第ということになる。
話がそれた。
話を元に戻すと、では写真の美しさとはなんなのか、という話に必然的に展開していくわけだけど、これまた難しい話だ。なぜなら「何を美しく感じるか」なんて結局人それぞれなのだから。
ただ一つ言えることは、僕は僕が感じる美しさを信じたいし、誤魔化したくないし、嘘をつきたくない。「他の人とは違うテイストを」とか「もっと多くの人にウケる写真を」なんて考えてたら自分が感じる美しさに殉ずることができない。
そんな僕が「美しく撮れた」と感じる写真を並べてみた。これらの写真を見て「別に美しいともなんとも思わん」と感じるのも「どっかの誰誰に似てる」と感じるのも自由だ。
なぜなら僕以外の誰も確信できないことだから。僕は僕の感じる「美しさ」に背いていないということを。
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