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村上隆もののけ京都/現代アートは回復するか、全滅するか、自らの間違いを認め召喚するか、正い歴史のドアを開けるか


京都市美術館開館90周年記念展〈村上 隆 もののけ京都〉展、展示風景より

1・空白の日本現代アートシーンに現れた〈スーパーフラット〉事件

空白の70~90年代を経て、失われた日本現代アートシーンに現れた「スーパーフラット事件」(今後、僕はそう定義する予定の)日本美術史を書き換えた事件の作者、張本人である美術家・村上隆の、京都での展覧会に行ってきた。

海外では毎年、展覧会を開いているということだが、国内では大規模な村上隆の個展は三回目となる。
2001年「村上隆・召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」
    東京都現代美術館
2015年「村上隆の五百羅漢図」森美術館
2024年「村上隆 もののけ 京都」京都市京セラ美術館
(僕はいずれもオープニング、報道内覧会で見ている)

村上隆のスーパーフラットミュージアム(2003)

現在、日本の極めてねじれた芸術文化の社会構造の中で、大規模な展覧会を開催するということが、なんと矛盾やおかしな点が多いか、ということは僕も少なからず認識している。

村上隆が海外のコレクター、フォロワーたちに向けて繰り返しているような理想的な展覧会を開催することは、日本国内では到底難しい。(理想的とは、あくまで今の、20世紀後半の時代感覚で言えばということだが)
その最前線で、国内での仕掛けの張本人から見えていること、または村上本人にしか見えていないことは、もっと厳しく散々たる状況なのだろうと想像できる。

「雲竜赤変図」《辻惟雄先生に「あなた、たまには自分で書いたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン》(2010)※元絵・曾我蕭白「雲龍図」(ボストン美術館蔵)

2・日本現代アートの”偏向的書き換え”だった〈スーパーフラット〉

2001年、都現美の「村上隆展」のタイトル「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」は、まさしく今、その主役ともなった張本人、村上隆とそのプロジェクトが全面的に背負う運命にある

日本の現代アートは、90年代後半以降「スーパー・フラット」で試みた方向性から「回復するか」、または「全滅するか」。

つまり、失われた日本現代アートの”偏向的書き換えだった”試みから、
元に戻って別の道を歩めるかどうかという問題
できなければ、それで日本現代アートの血脈は途絶えるかもしれない

だから偏向的書き換えの
「自らの間違いを認め召喚するか、正い歴史のドアを開けるか」
それは、もうこの展覧会にかかっている、と言ってしまおう。

村上隆「洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip」2023-2024  展示風景より

3・筆者の視点は戦後50〜75年の日本現代アート史の文脈において

僕の視点は、今回のテーマ「京都で」や「最新の技術・芸術的展開」よりも、ほぼ9割新作において、ここまでの道のりをどのように捉えられているかという点だった。

京都という(東日本大震災後、村上が移り住みアトリエ工房を構える)場所での歴史的因縁の霊性の文脈において・・・

村上隆「尾形光琳の花」2023-2024

また1995年戦後50年を越えたタイミングで、第二次大戦の敗戦国として連合国代表アメリカの傘下で、漫画・アニメ・ポップカルチャーという餌を武器に開拓した、国際アートマーケット市場に対して・・・

フィギア(1999〜)※展示風景より

今どのように考え、捉え、作品として表現できているのか?

そこが作品からどれだけ感じられるか?

それが、今回もっとも僕が見たいところであった。

いつも評価しないが、今回の音声ガイドには、村上隆自身の旧作に込めた日米関係の歴史認識に対抗しようとした思いは、少し語られていた。
また霊性表現へのアプローチは、ストレートすぎるが、わかりやすく行われている部分もある。

「青龍 京都」
「白虎 京都」
「朱雀 京都」
「玄武 京都」
展示風景より、床カーペットに現れる洛中の死骸の骸

では作品を鑑賞しただけで、日本国内に住む人たちがをその作品に込められたテーマを感じられるかと言えば少し困難だろう。
表層が際立ちすぎで、違う情報群に溢れ、印象としては拡散している。
それが「今、現在だ」と言えば、それはある意味達成している。

〈772772〉村上隆 2015 ※展示風景より

4・いかにして情報まみれの現代アートに真贋/心眼を見るか?

現在、戦後74年、日米の国家的ステイタス(地位関係)は今なお戦勝国と敗戦国であり、それは芸術文化においても全て同じ構造が70年以上続いている。

90年代の時点で戦後50年、
海外が称賛する日本文化、サブカルチャーを素材とし、その国家間の大いなるねじれに対抗するために生み出された初期の村上隆作品群は、
今振り返ると「極めて戦略的で、意図的で、計算された部分が前面に押し出されすぎ」の、それは今、表現として果たして鑑賞する代物なのかどうか、とさえ感じる

そこは大いにクリティカルな(批評的)眼を持って見ていくことが大事だと、僕は思う。

「Murakami.Flowers Collectible Trading Card」2023-2024

そうして、2001年の日本国内での最初の個展タイトル
「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」として
自らに問うたクエスチョンの解答として、

自らの間違いを認め”召喚するか”、正い歴史の”ドアを開けるか”?

半年以上の異例の開催期間を持つ、この展覧会にかかっている。
言い方を変えれば、この展覧会を見て何か違うことを感じた人々の意識のあり方にかかっている

「カイカイ」「キキ」2022

京都市美術館開館90周年記念展「村上隆 もののけ 京都」
会期:2024年2月3日-2024年9月1日
会場:京都市京セラ美術館[ 新館 東山キューブ ]

※写真は展示風景として、プレス内覧会で取材させていただき、特別に許可を得て撮影しています。


▶︎その他のアート談義動画、こちらも是非ご観覧ください✨
 ◉読み解くアートTV清藤誠司〈セイジィ・キヨフジ〉/Youtube  


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