ARTの心眼|清藤誠司 TVプロデューサー

セイジィ・キヨフジ【魂がふるえた美術展・作品・アーティストに注目する!ARTの見方と美…

ARTの心眼|清藤誠司 TVプロデューサー

セイジィ・キヨフジ【魂がふるえた美術展・作品・アーティストに注目する!ARTの見方と美術評】|NHK「日曜美術館」ディレクターなど、長年の取材でアート美術、歴史・文学・芸能、神社仏閣・陰陽道・神秘科学を取材・探究領域とする。◆展覧会アートプロデューサー◆陰陽師・運命鑑定士

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  • ノートココロト魂がふるえる/展覧会・美術評

    【脳と心と私の魂が揺さぶられた企画展・作家・作品に注目する美術評】 目に見えている現象や、頭で考えた理屈を超え、 心と魂がふるえた瞬間の波動こそARTというものの真髄に違いない。 現実世界の〈真贋〉を見極め、世の中で起こるすべての現象は、 天の声・天意であり、それを第三の眼・直観で捉える感性こそが、 ひらめきと創造力の源泉といえる。 それが〈ARTの真願〉であり、開かれるべき〈心の眼〉だ。

  • アートはいかにして魂を救うのか

    体の不調の原因が判明したのは36歳の時、7歳の時に遭った大きな交通事故が原因の「脳脊髄液減少症」でした。 私はその交通事故が原因で、慢性的な頭痛と身体の重い倦怠、一度眠ると目が覚めても体が起こせなくなるという原因不明の病いと40年近く付き合い続けることになるのです。10代の頃から定時に通う学校や会社に適応できず、就労時間が不規則で、常識的な自由が許されたTVマスコミ業界で働き、何とか暮らしを続けることができました。治療を続け完治できた時、私はもうすでに40歳を過ぎていました。 長い間の睡眠障害と、そうした精神的苦悩から私を救ったのは、小説・文学、クラシック音楽、映画・芸能エンタメであり、そして何よりも「アート・美術」でした。 これは、その人生再生ドキュメントとアート鑑賞&実践体験記です。

  • アートプロデューサー陰陽道日乗

    美術館やアート作品から今の現世を観察するアートプロデューサー日記。光と影、正義と悪、その真贋、陰と陽の境界をまたぎ、長年TV番組制作と取材で肥やされた眼と足とで観察し、その奥にある真相批評に迫る。

  • 絶対シネマ感!/運命論的アート思考の試写室

    絶対音感ならぬ〈絶対”映画”感〉で鑑賞中。テレビマンとして、かつて年間350本〜試写で本編を見続けた経験も活かしての私極的映画レビュー。運命論とアート芸術思考の脳と心で感じる、新作映画〜埋もれた映像作品やヴィデオ・インスタレーションまで。

  • きらめく空気振動〜クラシック音楽素人講釈〜

    【クラシック音楽あれこれ】それはまさに天から降り注ぐ、きらめく空気の振動、人生の苦悩からの解放、魂のゆらぎ。レコード時代から耳を傾けた40年の静かな趣味〈西洋音楽素人講釈〉。マーラー、R・シュトラウス、ショスタコーヴィチ/バッハ・ハイドン・ラスッス/メンデルスゾーン、ラフマニノフ、プロコフィエフ。そして指揮者コンドラシンと演奏家グレン・グールド。

最近の記事

村上隆もののけ京都/現代アートは回復するか、全滅するか、自らの間違いを認め召喚するか、正い歴史のドアを開けるか

1・空白の日本現代アートシーンに現れた〈スーパーフラット〉事件 空白の70~90年代を経て、失われた日本現代アートシーンに現れた「スーパーフラット事件」(今後、僕はそう定義する予定の)日本美術史を書き換えた事件の作者、張本人である美術家・村上隆の、京都での展覧会に行ってきた。 海外では毎年、展覧会を開いているということだが、国内では大規模な村上隆の個展は三回目となる。 ◉2001年「村上隆・召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」 東京都現代美術館 ◉201

    • 自己紹介

      こんにちは、はじめまして。セイジィ・キヨフジ(清藤 誠司)です。  1969年、大阪生まれ。学生時代まで関西育ち。  20代後半から東京で25年〜テレビマンとして活動。  現在は大阪・京都を活動拠点として、  母・妻・娘6歳の四人家族で暮らしています。 ●職業・仕事:【TVプロデューサー】       (番組企画、取材・事前調査、映像制作)        【アートプロデューサー・ジャーナリスト】                (美術館・展覧会企画、メディア展開、映像

      • 世界でアーティストとして生きるには-ベルリン〜ニューヨークへ渡った美術家・長澤伸穂の軌道-

        私はある重要なアートシーンの映像を編集した。 その映像作品「野焼き」が、いよいよ公開される。 それは東京・森美術館での展示の中で、2023年10月18日から始まる 「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」。 タイトル「私たちのエコロジー」の「私たち」とは、一体誰なのか? 大地・海・草木・空気は誰のものなのか? という問いかけを含んだ展覧会。 人間中心主義の産業化が、多様な生態系や環境資源に与えた計り知れない影響。それを見つめ直し、対話を生み出していくことを主題

        • 現代アート最果ての時代に生まれて/具体〜現代美術の動向・倉貫徹のはじまりと今

          2023年9月の最終日30日、奈良・郡山にある美術作家のアトリエを訪ねた。その美術家が12月に海外で開催する個展の図録・カタログに文章を書かせてもらうことになったので、その取材のためだ。 特に関西のアート通は、美術家・倉貫徹さんを知っている人も多いだろうが、そのデビュー・芸術表現活動の始まりは、1960年代の後半に遡る。 その最初は「具体美術協会」新人賞の出展を皮切りに、1970年の「現代美術の動向」展を出発点とする。 2023年、京都国立近代美術館で開催された「Re:ス

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        • ノートココロト魂がふるえる/展覧会・美術評
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        • アートはいかにして魂を救うのか
          2本
        • アートプロデューサー陰陽道日乗
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        記事

          三代宮永東山の体の中を〈近現代・伝統/前衛・陶芸〉が通っていったと感じた日

          2023(令和5)年9月29日、満月(中秋の名月)の日。 京都三条にある思文閣というギャラリーを訪れた。 〈三代宮永東山展ー宮永家の人々〉(9/16~30まで ※この展示は終了しています)が開かれていたからだ。 最終日の一日前だったが、滞在の時間を多く取るために、満を持して訪れると、会場の奥の部屋に、東京から小池一子さんがいらしており、作家・宮永理吉さんとお話になっていた。 なんと偶然のタイミングか。お二人からお話をうかがうことができて、私にはさまざまな発見があった。 こ

          三代宮永東山の体の中を〈近現代・伝統/前衛・陶芸〉が通っていったと感じた日

          〈現代・前衛・陶芸〉我々は皆やがて土へと還る/「走泥社再考ー前衛陶芸が生まれた時代」宮永理吉《海》をめぐって

          私は長い間アートや美術に触れているが、”陶芸”というものをほとんど知らなかった。〈走泥社(そうでいしゃ)〉という、戦後の前衛陶芸家集団の存在を意識するようになったのも、50歳を過ぎて、生まれ故郷の関西へ拠点を移してから、つまりここ数年のことである。 この夏、京都国立近代美術館で開催されていた《走泥社再考ー前衛陶芸が生まれた時代》展を、私は三度、訪れている。 陶器や花器という実用性を伴ったやきものは、20世紀になって、それを鑑賞する、あるいは抽象的に表現されたオブジェとして

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          いつも大事なことを教えてくれる人は、すべからく向こう側の世界から

          音楽家・坂本龍一氏が全人類の集合的無意識の深い海へと帰って行ったのは、2023年3月28日だった。 訃報が全国に知らされた4月2日、その5日前のこと。 3月28日、この日私は、彫刻家・流政之氏の綿密な調査・取材のために、滋賀・大津の石山寺にある数寄屋建築家のお宅に訪れ5時間近く話を聞いていた。 もうすでにこの世にはいないある芸術家の人生のことを話している、その時、坂本龍一さんは現実世界の向こう側へ、巨大な深い海へと旅立ったのだろう、と想像する。 私が話を聞いていた流政之さ

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          青い人体レリーフに何を感じているのか?/イヴ・クライン 私の見かた

          イヴ・クラインといえば、 自ら開発した「インターナショナル・クライン・ブルー」と呼ばれる 青の顔料一色で作られた《人体レリーフ -PR3》(彫刻の森美術館蔵)が、 印象に残る。 あの青い人体とは、一体何なのか? 真っ青な《人体レリーフ》に私たちは何を感じているのか。 その一つは、下記のようなこともあるかも知れない。                           イヴ・クラインは、フランス本国で彼が生きている間は、 抽象表現から発展した偶然性のハプニング、パフォーマ

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          常識を覆す行動の決意グレン・グールド/この波紋はロック・アルバムの金字塔へと

          グレン・グールドを知ったのは中学二年生の時。 1982年なので今から40年ほど前、グールドが亡くなった年である。 NHKで放映されたドキュメンタリー番組でそのレコーディング風景を見た。 カナダ放送協会がつくった「人間と音楽」という8回シリーズの番組の最終回だったと思う。 ヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(メニューヒン)がナビゲーターとして語る番組で、古代の民族的な音楽・舞踊から、クラシック音楽・ポピュラー音楽までを網羅し、最後に20世紀の現代音楽、コンテンポラリー・ミ

          常識を覆す行動の決意グレン・グールド/この波紋はロック・アルバムの金字塔へと

          グールドの食事/赤ちゃんビスケットしか食べなかった話

          2022年は、グレン・グールド生誕90年・没後40年という周年であった。 10年前の2012年は、自分が演出・プロデューサーをしていたTV番組で念願の「グレン・グールド」を一時間まるまる特集した。 その時、グレン・グールド研究の第一人者、音楽評論家の宮澤淳一さんに番組に出演いただいた。 写真に写るビスケットはカナダのローカル・スーパーにしか売っていない、くず粉でできた幼児用「アロールート・ビスケット」。宮澤さんにカナダの地元のお店で買ってきていただき、スタジオで披露、番組内

          グールドの食事/赤ちゃんビスケットしか食べなかった話

          美術鑑賞とは「不在の霊性」を感じ取れたかどうか、その一点に尽きる/BACK TO 1972・50年前の現代美術へ

          2022年12月4日・日曜日。 ふと思い立ち、西宮市大谷記念美術館へ向かった。 イベントの仕事で神戸・六甲を訪れ、普通電車から急行に乗り換えるため、阪急「夙川」という駅に降り立ったとき、 今日行っておかなければ、と感じて、駅を出て美術館へ歩いた。 そして特別展「BACK TO 1972・50年前の現代美術へ」を見た。 この美術館が開館した1972年という年は、 その後今に至る半世紀の日本の運命と、 関西現代アート界の大きなターニングポイントであったことがわかる。 日本の首

          美術鑑賞とは「不在の霊性」を感じ取れたかどうか、その一点に尽きる/BACK TO 1972・50年前の現代美術へ

          いま私たちが感じている人や世の中の壁・境界とは/「BORDER|郡 裕美」

          展示ギャラリーに入ると真っ暗で、何も見えない。 暗闇に、光線のようなものがあることがわかる・・・ ようやく数分すると眼が慣れてきて、暗い空間の中に2つの長方形の光線だけが浮かぶ展示空間があるだけとわかる。 何もないところなのだが、光の線だけで、何か仕切りといくつかの空間ができている。いや、そのように感じているだけで、実のところ何もない。 建築家で美術家の郡 裕美さんの作品〈BORDER〉。今回のギャラリー展示は堂々のこの一点にのみ。 有名なところでは越後妻有や瀬戸内の

          いま私たちが感じている人や世の中の壁・境界とは/「BORDER|郡 裕美」

          「具体」が切り開く未来はあるか/グタイ・ピナコティカがあった大阪中之島

          大阪中之島美術館と国立国際美術館で共同開催されていた「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」という、この2館だけで開催された昭和・日本の現代アートの全開催日程80日間の展覧会がありました。 私は結局、開幕前の2022年10月21日の報道関係者向けの内覧会と、閉幕日2023年1月9日にも会場へ行きました。最終日には、けっこう多くの若い人たちが来ており、新しい世代の潜在的関心を感じることができました。 今から60年前の1962年、この2つの美術館があるところから数分

          「具体」が切り開く未来はあるか/グタイ・ピナコティカがあった大阪中之島

          落ち込んだ時、アートは私の心を蘇らせることが出来るのか/「みる誕生 鴻池朋子展」

          関西への帰る途中、家族と離れ一人で静岡の駅に降り立った。なぜ一人かというと、静岡で美術館・企画展でいくつか寄るべき候補があったからだ。 だが実は、年末年始に仕事や人間関係の上でいろいろあり、個人的にも気持ちが塞ぎ込んでいて、一人になりたかったということもある。この時、私の気持ち、メンタリティはけっこう沈んでいた。 2023年1月4日。極めて個人的なことから書き始めるが、私の妻の実家がある神奈川県藤沢で正月を過ごした後、東海道線を乗り継ぎ、熱海を経由して静岡で降りた。 家族と

          落ち込んだ時、アートは私の心を蘇らせることが出来るのか/「みる誕生 鴻池朋子展」

          偶然、隣り合わせた嫌な人と過ごす運命について/コンパートメントNo.6

          2021年カンヌ国際映画祭ででは日本の濱口竜介監督が「ドライブ・マイ・カー」で脚本賞ほか四冠で話題となったので、知っている方も多いだろうが、 この年グランプリを獲ったのは「コンパートメントNo.6」という作品だった。その本編がようやく、2023年2月10日より日本で公開される。 偶然、生理的に合わない人と隣り合わせることになる・・・そんな巡り合わせ、運命とは一体、自分の人生にとって、何の意味があるのだろうか。 フィンランド人の若い女性主人公ラウラ(セイディ・ハーラ)は、モ

          偶然、隣り合わせた嫌な人と過ごす運命について/コンパートメントNo.6

          1・絵を描く少年=私が学校へ行かなくなるまで

          私は7歳の時に、大きな交通事故に遭い、頭部を地面に強打し、意識不明が数日間つづきました。 その時、病院の先生から両親には、私の両目失明と四肢麻痺の後遺症は免れないだろうと言われたそうです。 しかし1ヶ月の入院後「目が見えなくなる、手足が不自由になる」ということはなく、幸いにもその2ヶ月後には私の身体は完全に回復し、小学校へ復帰することが出来ました。 それが1976年の8月、今から46年前のことです。(※2022年9月時点) 退院後、私は絵を描き始めました。 文字を読んだり、

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