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常識を覆す行動の決意グレン・グールド/この波紋はロック・アルバムの金字塔へと

グレン・グールドを知ったのは中学二年生の時。
1982年なので今から40年ほど前、グールドが亡くなった年である。
NHKで放映されたドキュメンタリー番組でそのレコーディング風景を見た。
カナダ放送協会がつくった「人間と音楽」という8回シリーズの番組の最終回だったと思う。

ヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(メニューヒン)がナビゲーターとして語る番組で、古代の民族的な音楽・舞踊から、クラシック音楽・ポピュラー音楽までを網羅し、最後に20世紀の現代音楽、コンテンポラリー・ミュージックも扱っていた。

ユーディ・メニューイン

このドキュメンタリー映像で、初めてジョン・ケージの「4分33秒」という曲を聴いた。いや聴いたというのは嘘で、音のない音楽なので、初めて「観た」というのが正しい。ピアノの前に座って4分33秒間、何も音を鳴らさないという楽曲なので、正確にいうと、その演奏の一部を映像で鑑賞した。

また、この番組でスティーブ・ライヒの「ドラミング」の演奏風景も観ている。それはドラムと木琴とコーラスが同じフレーズを繰り返すだけのもの。ミニマル・ミュージックと呼ばれる現代アートの絵画表現にも共通するミニマル・アート領域の初体験だった。40年以上経った今でも、頭に残っている。中学二年生だったので記憶として、とても鮮明に覚えているのだろう。

そして番組は、グールドの録音スタジオに訪れ、当時コンサート活動を一切停止して、スタジオでのレコーディングに専念していたグレン・グールドを訪ねるという場面があったことを覚えている。

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第8〜10番」グレン・グールド(1966)

グールドは1964年、32歳の時に、演奏会でピアノを弾くということを辞める。いわゆる「コンサート・ドロップアウト」でその後、死ぬまで演奏会を開くことはなかった。

会場ホールのすべての位置で、自分が理想とする音を届けられないこと。
そして音楽家として認められるために演奏会に出るということに納得いかなかった。それが理由とされているが、そらく決められた時間に縛られること、さまざまな聴衆が発する音、上流階級風に酔うステレオタイプなクラシック演奏会の雰囲気にも耐えられなかったのだろう。

当時、アナログ・レコーディング技術の進化が著しく、グールドは自分で演奏し録音した後、ミキサー卓を前に、エンジニアに指揮をするように指示を出し、ミキシング・エフェクトを細かくかけ、その音楽を自身の耳が最もふるえを感じるまでに仕上げていった。

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンも、ビートルズも、
1965年〜1966年に同じようにコンサート・ホールでの演奏会を辞める。

ザ・ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」(1966)

ロックアルバムの金字塔となる「ペット・サウンズ」も「サージェント・ペパーズ」も実は、このグールドの「音楽家が演奏会を辞める」という、これまでの常識を覆す行動の決意がなければ、誕生していなかったといえる。

もちろん、当時のロック・ミュージシャンたちがクラシックのレーコードを耳にしたかどうかはわからない。しかし、カナダの人気絶頂のピアニストがコンサート活動を辞め、スタジオ録音に専念したというニュースが、レコード業界の中で少なからず伝わっていたことは間違いないだろう

実はクラシックとポップスはレーコード録音の文化において、この現象が、まるで水面に広がる波紋のように繋がっていたのである。

ザ・ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)

1964年、グレン・グールド、コンサート停止→レコード録音に専念→
1965年、ビーチ・ボーイズ、ブライアン・ウィルソン(スタジオに引きこもり)→「ペット・サウンズ」録音→1966発売
1966年、ビートルズ(「ペットサウンズ」に影響を受ける)→聴衆が音を聞かず絶叫するコンサートを辞める→スタジオ・レコーディングのみに専念。
1967年、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」発売。

グレン・グールド〜ブライアン・ウィルソン〜ジョン・レノン、ポール・マッカートニーという波紋。
この波紋は、音の波動としてアナログ・レコーディングされ、今も私たちの耳元で繰り返し再生されている


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