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邱永漢「起業の着眼点」を読んでサラリーマンの自分を振り返る

Xの、どなたかのポストで、邱永漢の「食える経済学」という著作に対するコメントがあって、そのタイトルのストレートさに、なんとも邱さんらしい表現だな、となつかしくなり、彼の著作をKindleで数冊買って読みました。40年近く前、僕が大学生の頃、「第三の新人」と呼ばれる作家、安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作の作品を読んでいて、彼らとの交流録に邱さんがよく出てきてたので、何冊か手に取った記憶があります。

どの著作も、現代でも通じるビジネスや株や人生における有益なアドバイスが散りばめられていましたが、2006年に刊行された「起業の着眼点」が今の僕には、腑に落ちるアドバイスが多かったので、いくつか引用しようと思います。

日本の若者たちの就職試験の受け方を見ていると、自分がやりたいことがまだ確立していないせいもありますが、異業種にまたがって滑り止めまでつけた応募をして偶然に合格した会社に入ると、それで一生の職業が決まってしまうということはどう考えても不合理でイージーすぎる職業選びだと思ったからです。志のある人がそんな職業選びに甘んじているわけがないはすです。

邱永漢「起業の着眼点」

2 会社人間は会社に飼い殺される
(中略)ということは一旦、ある会社に入社した人はなるべく外界の空気に触れないように隔離し、一種の世間知らずを育て上げるのが日本の会社社会だったと見ることもできます。一旦「会社社会」に入ると、上から読んでも「会社社会」下から読んでも「会社社会」というように、世間から遊離された人間になってしまうのです。

同上

人が偶然選んだか、もしくは選ばれた職に就いて、その道をまっしぐらに突き進んでトップをきわめれば、それはそれで人生の成功者であるということができます。サラリーマンで一流企業の社長や会長になった人の「私の履歴書」を時々、日本経済新聞で拝読しますが、ご本人はその節々でたいへんな決断を迫られ、死ぬ思いをしているようですが、私などから見ると平々凡々な人生です。それというのも、自分で選んだ茨の道ではなくて、自分に与えられた道にはみ出してきた茨を払い除ける立場におかれただけのことにすぎないからです。(中略)ただし、そういう人の大半は、自らの運命を切り開いた人というよりは行列のうしろに並んで辛抱強く自分の出番を待ち、かつ運よく自分の出番をかち得た人です。

同上

僕は、来年、定年し、一人会社を作ることを予定していて、最近、これまでの会社員人生を振り返ることが多いのですが、邱永漢さんの会社員に対するこの指摘は自分が何とも浅はかなサラリーマン人生を送ってきたことを改めて気づきました。

この本を読んでいるときに、知り合いのヨーロッパ人の連続起業家が来日して二人で夕飯を食べたのですが、彼の話は、まさに邱さんのいうサラリーマンというリスク回避の人生と起業家と、リスクをとり続ける起業家の人生がどのような違いを生むのか?を物語っていました。その起業家は今、45歳、30代から数社、会社を立ち上げ、売却し、今は投資家。そしてあと五年したらリタイアして社会貢献をする、と語ってました。僕は、彼と2011年に知り合い、数年間、会社員の立場で彼とみっちり一緒に仕事をしたのですが、その後も転職することなく、起業することもなく留まりました。その間、彼は世界中を旅して、新しいビジネスを創造し、経営し、成長させてきました。その結果、今は投資家という立場です。資産がどれくらいあるのか日本人のサラリーマンの僕には想像つきません。こういう人生の選択があるんだということを目の前で知ったのはラッキーでした。来年起業しますが、大きな富を生み出そうとするには、遅すぎますので、彼の人生を見習わなおうとは思いませんが、人生が終わりを迎える前に、会社という金魚鉢から出て、大海原に出てみる経験をすることは大切なことだと思ってます。

次回も邱永漢さんの「起業の着眼点」の読書感想を記します。

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