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高校時代、何もしなかったことのありがたみ

高校の同窓会とボディタッチ


昨日、高校時代の同窓会がありました。卒業して数十年経ってます。男女、100人以上集まりました。学年全体で総勢450人いたので、1/4以下ですがそれでもよく集まったと思います。
今日になって、昨夜の会を思い出してみると、皆、ボディタッチが多かったです。冗談言って軽く叩いたり、抱き合ったり、肩組んだり。高校、大学を卒業して社会人になってから、知り合った人たちは、多くが仕事の関係者なので、そんなふうにして体に触れながら話すなんてことは本当に少ないわけです。そして、年季の入った社会人である僕らが同窓会で集まると、一気に高校時代に戻り、そんなふうにしてボディタッチによる非言語コミュニケーションを始めるのです。それがなかなか心地よい経験でした。利害関係が一切発生しない友達というのは人生の宝だと思います。

中学校生活に疲れ果て、何もしなかった高校時代

同窓会が終わり、帰宅するために帰途、埼京線に乗りながら、自分の高校時代を振り返りました。
一言で言えば、「何もしなかった」高校三年間です。バスケット部に入りましたが、二年の夏休みで退部し、それからは帰宅部となり、同じ帰宅部の同級生10人くらいでつるんで毎日遊び呆けてました。バンドやったり、本も少しは読んでましたが、そこに本当の情熱はなかった。もちろん、勉強など全然やりませんでしたので、浪人確定でした。そんな男がモテるはずもなく、本当にぱっとしない高校生でした。
でも、僕は、それでよかったと思ってます。なにもしないでいい日々なんて人生にそう何度もやってきません。

実は、中学校時代が本当にしんどい3年だったのです。自分が入学した中学校は、生徒に対する管理が厳しい学校で、本当に息苦しい雰囲気でした。それに加えて、体罰をする教師が結構いました。僕はバスケット部に所属していましたが、この部の監督をする教師の体罰がひどく、毎日のように殴られていました。そういう、今となっては、異常な環境の中で3年を暮らしました。きっと精神的にかなり追い込まれていたと思います。あまりにひどいので、中学時代の記憶はほとんど残ってません。トラウマとなり、心の奥底に押し込んでしまっているのだと思います。

その中学を卒業して、入った高校は、幸運にも正反対の校風を持った学校でした。男女共学で、私服OKで極めて緩い学校でした。授業をサボって遊びにいくなんてことは普通にやってました。先生が全然咎めない、恐ろしく寛容な人ばかりでした。制服のまま居酒屋も行ってました。時代も飲酒に寛容だったせいもあります。
僕は、幸運にも、そういう学校に入学することができ、とことん遊び呆けて暮らしました。何にも達成したことはありませんでした。
でも、その3年は本当に大切だったと今でも思います。「なにもしなくていい。」ということを是とする環境に3年間いて、僕は精神的なダメージから回復することができたと思います。袋小路に追い詰めない教師と同級生がいる高校は、かけこみ寺みたいなところだったと思います。だから生徒は自分の学校が大好きで、今もよく集まります。

18歳の時、痛めた羽を休めることのできる場所に幸運にもたどり着き、元気になったお陰で、今があることを実感した夜でした。

 

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