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本当なら日本時間の28日0:30頃にヒースロー空港に到着しているはずだった。そして今頃、ロンドン市内を歩き回って写真を沢山撮りながら郵便局に

向かい、BRPカードを受け取って家探しを始めていただろう。


「本当なら」?


何があるべき本当なんだっけ。

先日食事をした人に もしもこうなってたら、と思うことはありますか? と尋ねたら、彼は “たら・れば”なんてないよ という返事をした。
そういう返答をするだろうなという感じの人にわざわざ聞いてしまって
なんて分かりきった回答を聞き出したんだろう、とその時は思った。

自分の意思を断言できる人の前で私は萎縮する傾向にある。
どうやってそんなにはっきりしたYES/NOを手に入れたんですか。

私は私の言いたいことを言えないままその話を蔑ろにしてしまったのだけど、つまり私は自由意志の存在を信じてないって言いたかった、はず。


渡英をやむなく遅らせることになってから元々の予定を眺めていると(Google Calenderがご丁寧に通知までして教えてくれるのでくれるので無視の仕様がない)変わってしまったものばかりが目が付く。
それは悔しさや不安からやってきている意識と
在りえたかもしれない世界の自分に対する憧れだと思う。
つまり妄想?妄想と想像の違いがよくわからない。


「在りえたかもしれない」に対する気持ちは
小さい頃からうまく処理できていない。

志したかった職業に就いている自分、通いたかった学校に通っている自分。
痩せた姿の自分や好きな人と安らいでいる自分。

全部が亡霊になって付き纏っている。
努力で叶えられるものばかりじゃないか と思うでしょうけど
(確かに痩せる痩せないは自分次第である)
まあ宗教2世にはいろいろあるんです。誰も人の事情なんてわからないものだし。

人目が過剰に気になる癖と過度な承認欲求と自己顕示欲。これらはおそらく持って生まれた性格だと思う、望ましい特性ではないけど。
自分を満足させることよりも他人が私に求めるものを与えることに必死になるのは2世として育った中で身につけた「自我を捨てて世界に奉仕する」姿勢からきていると思う(身につけなければいけなかった?そしてこの表現は大丈夫なのか)。
黒が白と言われても従うように教育を受けた。どうして?黒は黒なのに。 と疑問を抱くことは認められなかった。
実際私はその界隈でかなりいい子だったと思うけど、その時の自分の在り方が今の自分を助けているかは分からない。一歩そのコミュニティから出てみれば真逆のことが求められることにとても戸惑った時期もあった。ギャップが凄すぎて、一時期はそのコミュニティから出ることがとても憂鬱だった。そこにいれば常に理想の自分でいられると思っていたから。私の性格にハマる矯正だったんだな。

3・11の震災をきっかけに今まで抱いてきた疑問や違和感を無視できなくなり大学に入ってから求められる規制にも耐えられなくなり(年頃の女子には無理難題ばかりだった)少しでも日本を、親元を離れることを目標に交換留学の資格を与えられる成績を維持した。
国際関係論や文化人類学を学んで、宗教や戦争、社会を客観的に見る力を養ってやっと少し自分と社会を切り離して考えられるようになった。
教育って素晴らしい。



何が書きたかったんだっけ。

毎日何か書こうと決めて、頭によぎったいろいろをメモしているけれど
(このメモはネタ帳と呼ぶに値する。)
書き出すと毎回取り留めもない散文にしかならない。
大人になってから読書と勉強をサボったツケだね。

しばらく続けた後に少しマシになっていますように。


病気の話の続きを書こうと思っていたけどもうすでに長いから今日は終わり。



今晩は蓮根と鯵を揚げて食べた。
その蓮根は先日の千葉の旅行中に買ったもの。
予定通りに渡英していたら、食べきれずに腐らせてしまうからと買わなかったはずのもの。話が最初に戻ったね。これが今日の日記。



28th April 2023

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