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それはメリットではないけれど、子を持ってよかったと思える瞬間を語ったならば。

一緒に仕事をしたことがある後輩が、転職をしたらしい。

「らしい」というのも、私もその会社を2年ちょっと前に辞めたのであり、人から聞いた話だからだ。ご結婚を機に別の会社へとご転職されたそうだ。ご結婚を機に、ということは何らかその後のプライベートや人生展望にフィットするような選択肢を探してのことなのかなと思った。どうかどうか、その決断に幸あれ。

私も34歳なのであり、最近は同世代から「産むか・産まないか」というテーマについての意見を聞かれるようになった。

長男を産んだ時は26歳で、関西の地元であれば同級生の母親もたくさんいただろうが、東京の街では周囲のママ友はほとんどひと回り年上だったし、同世代に至っては「もう産んだの?ここから楽しいのにどうして」ぐらいの感じで見られていた印象だ。多分ほとんどの人に「もう?」と思われた中での出産だった。だからもうすでに7年も経った今のタイミングで妊娠出産について尋ねられるのは逆にとても新鮮な気持ちで、何となく遠くなってしまった7年前の記憶を辿りながら「産むか・産まないか」のそれぞれの話に耳を傾けている。

私は23歳で受けた手術で腹膜炎を起こした経緯があり、自然妊娠が大変難しい身体だった。それをわかって最初から不妊治療に踏み切っていたこともあり、そもそも妊娠出産ができないこともあること、そこにとんでもないお金が飛んでいくこと、身体への負担がとんでもないこと、時間の調整がいかに難しいものであるかということ、お金か年齢かメンタルかを理由に諦めざるを得ない場合があることも身に染みていた。そんな事もあって自分が妊娠となった時も職場の歳上の方々にもどんな事情があるか分からないと思っていたから、妊娠出産にまつわる話など怖くてできなかったし、同世代にもなぜこの年齢で出産に踏み切ったかというやや重たい話を順を追うのはまどろっこしかった。つまり自分が当事者の時は、「産むか・産まないか」の選択肢については語らずに来てしまった。どちらかというと、妊娠出産を選択した時の私の中では「産めるのか・産めないのか」という感覚の方がずっと近かったはずだ。仕事は好きだから、産めたならば後は頑張るだけだ。その時にどうにかしよう。スタートがスポ根ぽかったことは認めよう。

東京での知り合った女性たちは皆それなりに仕事を持っていることが多くて、「今持つか」というのはキャリア的にどうなのかという意味合いがほとんどだ。インターネットで検索すれば、何というか本当に、自分の決断にはあまり役に立たない他人の経験談などが登場する。「私は周囲に迷惑をかけるのを見越して辞めました」とか、「役職を得てから出産しました」、もしくは「制度の整った会社で働いていたのでその辺の不安は特にありませんでした」とか。他人は、自分とは違うパートナー、自分とは違う職場、自分とは違う両親(戦力になる場合もある)、自分とは違う体力と才能と星の生まれを持って生きているのであり、この複合的な要素にプラスして、いざ産もうとなると「産みたい時に産める」という前提条件は実は違ってたみたいなことが実際には起こる。他人の話がこんなに役に立たないことも少ないだろう。人生で手元にあるカードがそれぞれ違いすぎる。人生での優先順位だって違う。それゆえ、この辺について何か語ったとてあまり参考にはならないだろう。

子を持つことのキャリア上の負担は周囲に聞いたり検索したりすれば、溢れんばかりの情報に出会うことができる。だからせめて「子供を持ってよかった」と思うことは何かということを記してみたいと思う。ここで書いてみることは決して「メリット」などではない。さらには子を持たない選択をした人を否定したり説得するものでもない。どんな時に自己満足したかという、大変個人的なエピソードだ。

さて、子育てをしていると、自分にとってだけ美しい人生のご褒美のような瞬間がごく稀に突然やってくることがある。そしてそれがどれほど美しかったかを他人に伝えようとしても、理解はしてもらえないだろう。それは本当に私だけの心を震わせる、でもきっと死に際思い出すような、そういう一瞬だ。

ある朝に眠っている赤ん坊がふと目を開けて瞳に私を捉えて、満面の笑みを向けて一生懸命ハイハイをしてきたこと。寝かしつけで寝たふりをしている母の腕を、まるでその保護者のように小さな手で一生懸命トントンと撫でてくれたこと。兄弟が何でもないとてもしょうもないことを、お腹が捩れるくらいケラケラとひとしきり笑い合っていたこと。幼児には親が大好きすぎるという時期があり、こちらが恥ずかしくなるぐらいまで愛のポエムを堂々と表明してくれたこと。こういう、他人には価値がないけれど、私にとってはずっと宝箱にしまっていたい刹那がごくたまに訪れる。そのほかの時間は大抵忙殺されているので油断ならないが、この言葉にならなさこそがおそらく醍醐味なんだろう。これが一般的には「子供は可愛いよ」などと大変凡庸な感想か、「親バカ」という言葉で出回っている。他人にとっては価値のないことが、自分にとって素晴らしい価値をがあると確信できる経験は、この資本主義社会では中々ないものの一つだと思う。

もしこれを読んでいる人で、比較的良い関係のあなたの母親や父親が、子供の自分からしたらなんでもない小さな思い出を何度も何度も語っていたら、ウンザリとした気持ちも湧くかもしれないが、どうか「しょうがないなぁ」とそうっとしておいてあげて欲しい。たぶんその思い出は宝物なのだから。

実際には、「子育って良いな」などと浸っている時間よりも、子供の人生がどうにか独り立ちの形で大空に発着できるように何をしたらいいのかと悩んだり、この家で過ごす日々がちょっとでも良い思い出として本人に残りますようにと祈ったり、そんなことよりも目の前の仕事を18時までに終わらせなければ、などと四苦八苦している時間が100倍ほど長い。「私にとって言葉にならない美しい瞬間があった」ということが他人の「キャリアや収入がままならないことも起こりうる」という”それなりに物理的なデメリット”を安易に上回るとも思っていない。妊娠出産はホルモン大爆発の追い風で我が子がちょろっと何かするだけでとんでもなく愛おしく見えるように設計されている(もちろん産後鬱などそれがうまく揃わない場合もあるだろう)という背景を差っ引いても、当たり前だが子育て以外にも人生が美しい瞬間はたくさん存在している。それゆえ他人にとって何が美しいかということを私が決めることはできないのだが、ひとまずその瞬間がひとときだけあるということがどうにか重い体を持ち上げてせっせと家事をこなしながら生きる活力になっている。

子供が独り立ちして家を出るようなタイミングになったら、お礼を言われるよりも、多分こちらがお礼を言わねばならない。小さい人たちよ、楽しく美しい思い出をありがとう。

まぁ、まだ全然終わっていないけどな…
山積みの洗濯物を前にこれを書きながらつぶやくのだった。


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