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異国合戦

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文永の役から令和6年で750年。 東アジアの安全保障環境が激化する中、いま蒙古襲来を考えます。
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記事一覧

【異国合戦(20)】二月騒動

  モンゴルからの使者・趙良弼が日本を離れ、12人の大宰府使節が燕京を訪れた文永9年(1272)…

清原弘行
13日前
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【異国合戦(19)】偽りの使者

 今回は蒙古襲来前の最後の使者となる趙良弼の来日を中心に、日本・モンゴルの外交と鎌倉幕府…

清原弘行
1か月前
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【異国合戦(18)】源氏将軍、復活

 久々の更新となってしまいました。  すみません。  今回は文永8年=1971年前後を中心に日…

清原弘行
2か月前
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【異国合戦(17)】モンゴル帝国に拉致された日本人

 今回は比較的マイナーであまり知られていないモンゴル帝国に拉致された日本人の物語。  同…

清原弘行
3か月前
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【異国合戦(16)】蒙古国書、到来

今さらですが、あけましておめでとうございます。 本年は文永の役750周年イヤー。 記事内容も…

清原弘行
3か月前
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【異国合戦(15)】将軍宗尊親王の追放

今回から久々に日本パート。 鎌倉幕府の話に戻ります。 前回記事は下記よりどうぞ。 日本パ…

清原弘行
4か月前
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【異国合戦(14)】モンゴル帝国による朝鮮侵攻の歴史

 今回はフビライ・ハーンの皇帝即位から少し時間を巻き戻し、モンゴルによる朝鮮侵攻について。  モンゴル帝国全体の歴史から見れば重大な軍事作戦ではないかもしれませんが、日本侵攻の前史としては重要であることは言うまでもありません。 前回記事は下記のとおり。 これまでの記事は下記のまとめよりお読みください。 高麗の武臣政権 日本で鎌倉幕府が、そしてモンゴル高原でモンゴル帝国が生まれた頃、朝鮮半島を統治していたのは高麗国であった。高麗は、鎌倉幕府やモンゴル帝国と比べると「先輩」

【異国合戦(13)】帝位継承戦争

今回は第5代大ハーンの地位をめぐる帝位継承戦争について。 前回記事は下記よりどうぞ。 こ…

清原弘行
6か月前
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【異国合戦(12)】フビライの南宋侵攻

今回は前回書いたフレグの西征と同時進行で進められたフビライの南宋侵攻について。 前回記事…

清原弘行
6か月前
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【異国合戦(11)】フレグの西征

今回はモンゴルパートになります。 内容としては第7回の続きですね。 日本パートも含め、過…

清原弘行
8か月前
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【異国合戦(10)】日蓮の「立正安国論」

連載第10回。 夏休みがあって少し更新期間が空きました。 失礼しました。 前回記事は下記より…

清原弘行
8か月前
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【異国合戦(9)】鎌倉幕府、新時代へ

 連載第9回。  前回記事は下記よりお読みください。 これまでの記事は下記のまとめよりお…

清原弘行
9か月前
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【異国合戦(8)】北条時宗の誕生、そして摂家将軍の終焉

今回から再び日本史パート。 前回記事は下記のとおり。 日本史パートとしては第3回の続きと…

清原弘行
9か月前
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【異国合戦(7)】モンケ・ハーンの即位とフビライの登場

前回はモンゴル帝国によるルーシ・東欧侵攻について書きました。  今回は2代皇帝オゴタイ崩御後のモンゴルについて。 ドレゲネの幸運 1241年12月11日、モンゴル帝国2代皇帝(大ハーン)のオゴタイ・ハーンが急死する。  オゴタイの死後、帝国の権力を握ったのは第6皇后のドレゲネであった。モンゴル帝国の最高議決機関クリルタイは女性の出席を認めており、皇后と宮廷の女性たちは政治に近い立場にあった。しかし、その上で第6皇后にすぎないドレゲネが政治を主導するに至ったのは様々な偶然が