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技術の進歩と幸福と義務のはなし

センセイの読んだ本の話を聞くっていう又聞きパターンから巡らせた話です。

ちなみにセンセイというのは「自分を導くヒントが多く得られる人」の意です。

技術の進歩と義務と幸福のはなし

お聞きした本の名前は忘れちゃったんだけど、
幸福を求めるための技術が進歩すると、義務が増えて、幸福度が下がる」というお話し。

空腹に困らない未来(幸福)
のために農業革命で便利にたくさん小麦がつくれる(進歩)
→小麦のお世話をしなくちゃならない(義務の発生)
→おまけに環境の違いで収穫量に差が出る
→争いがおこる(幸福度低い)

身近なところだとお手紙とメール。

より早く近況を伝えたい未来(幸福)
のために手紙からメールに変わる(技術の進歩)
→すぐにメールを返さなくてはならない(義務)
→追われる(幸福度が下がる)

話を聞いていくと「義務と感じる気持ち」が幸福度に影響を及ぼすのでは?と考えるようになりました。

・仕事にいかなくちゃいけない
・寝たいのに返信しなくちゃいけない
・SNSで反応しなくちゃいけない

とか。

それ全部「義務感」だから幸せじゃなくなってんのかなと。
好きじゃない仕事に行くときとかほんとまじで苦痛の極みになるでしょ。
「いっそ辞めてしまいたい」ってなったり。

自分の心が離れたときのパートナーへの連絡とかほんっと重苦しさで圧死しそうになるじゃないですか。

それは義務感だからだ!
やんなきゃは心がすごく重たい。

なに感?

であれば、「義務だと思わなければたいていのことは幸せ」になるのではないだろうか?

じゃあ幸福感を得る前は「なに感」がふさわしいのか。

完全に語感なんだけど、わたしは「使命感」だと思う。

ここでいう「使命感」は「やらねば」ではなく、強烈な「したい!」ね。

仕事に行ってお客さんに喜んで欲しいとか、営業で顧客を掌の上で転がしたいとか、なんでもいい。

使命感も人によっては重く感じるかもしれないんですけど、義務感よりは軽いと思いませんか?

強烈に願うことってなんだろう

それでいうとわたしの強烈な「したい!」は、じつは絵じゃなかったりする。

とにかく人をみて、知って、すてき!とかすき!って伝えたいだけなんだと思う。

たまたま表現できる最も身近なものが自分にとって絵であっただけであって。
お料理だったらお料理をして好きだと伝えただろうし
舞踏だったかもしれないし、
ギターだったら、ギターをかき鳴らす。

もしあなたが義務感で重かったら、もうちょっとだけ未来とか過去とか好きなもん見て、強烈な「したい!」を考えてみると幸福度が上がるかもしれない。

身近な技術と幸福

技術の進歩から話がそれてしまった。

そう、センセイとの対話で出た「技術の進歩があって、義務のない幸福」はね、「自家用車を持たない人がETCカードをつくる」でした。

・高速料金所で車を止めて支払う義務
・車を所持するにあたり発生する義務

この義務がないから、技術の進歩と幸福度だけが上がる。

ETCカードは幸せのアイテムだった!!

こんなこと考えてるとりとめのなさが面白いよね。

じゃあねー

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