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出来おとり その1.V釧路について

 やあ、おまえ。私の旧(ふる)いともがら、Lハーモニー=シュナイダー野の平衡度よ、ボン・ジョルノ! 出来おとりだ。尽きることのない敬愛の念が、こうして私に筆を執らせている。おまえのいた日々の思い出が、今日に至ってなお僻地で暮らす私の心を和ませているのだ。

 知っての通り、私はV(ヴォ)釧路にいる。この街はあらゆるVtuberたちの生まれ故郷だと一般に信じられているが、実際そこで暮らしている身からすれば、なんのことはない、一介のへんぴな地方都市に過ぎない。

 仮におまえがJRとJALおよび市バスを乗り継ぎ、V釧路の駅前に降り立ったしよう。そこでおまえが目にするものは駐車場、ビジネスホテル、レンタカー屋、文明が滅びさるその日までずっと広告募集中のままの空き看板。以上だ。(言っとくが心理テストじゃないぞ)お帰りは空港から。間違ってもレンタカーに乗って町の外に出るんじゃない。その先のV釧路平野には何もない。エクセルファイルの余白だと思え。わかったな?  リプス・猪头(ヂュトゥ)

 友よ、どうかこの地での暮らしを想像してもらいたい。都心で開かれている各種イベントやお祭りその他もろもろは、この街ではまるで死後の福音のように現実味がない。私にとってAmazonで注文した品は手元に届くまで実在するのか疑わしい。V釧路には大抵のものがこれまで一度たりとも存在していなかったからだ。つまりは買い物のたびに赤子(シャオガイ)に言葉を教えているようなものなのだが、元よりこの街が知っていたのはリスとVエゾシカくらいなのはいかにも益体がない。

 聞くところによればありとあらゆる、包括的にまったくすべての、おしなべてことごとくのVtuberがこのV釧路から生まれ出て、首都圏行きの旅客機(パサジーアフルクツォイク)のタラップに消えていったということだ。ことの真偽は定かでないが、一つ言えることは彼ら彼女らにとってV釧路とはすでに過去でしかないのだろう。だが時には彼らも駅の路線図や天気予報の中に、心懐かしき故郷の名前を探してみることがあるのかもしれない。

 中には倒錯的思想、および全くの無思慮から何もないV釧路平野に出ていったまま帰ってこないVtuberもいるようだ。彼らについてはまた筆を改めて書くとしよう。平野のただ中に血を抜かれたイタチの死骸を見かけたら、それは彼らが縄張りを主張している証拠だ。気に留めておくこと。

 不毛のV釧路で私は相変わらず研究の日々だ。港に泊まる定期便が私に毎月新しい書籍を授けてくれる。ここからは私のJUN-VUN変換について筆を割くことを許してもらいたい。

【「その2.JUN-VUN変換について」に続く】

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