出来おとり その2.JUN-VUN変換について

 物理的に出版される書籍の数が減っている! 由々しき事だ。Lハーモニーにとって、JUN-VUN研究にとって、可再生(クザイション)エネルギーの未来にとって。承知と思うが、私は好んで本を読むたちではない。にもかかわらず、ラボには毎月のようにおびただしい数の冷えた本が届く。モノで溢れ返る首都圏から来るものもあれば、北はアチンスクや、雲南省から届くものもある。私は相応の対価を払ってそれを買い取っている。

 本の内容こそは購入のさい私が最も軽視している部分だ。推理、ホラー、空想科学(コンシャンクシュエ)、随筆、ロマンス、囲碁、ポルノ、妖精神話(メルヘン)、エッセー、実用、ファンタジー、哲学……まとめてポイ! だ。変換効率にとっては微々たる違いでしかない。うわべでなく本の何たるかを知っている私は、入手した書籍に以下の処置を行っている。

読書(シテイニャ)。始めのページを開き、冒頭部分を読む。

 これは出だしの一行だけでも構わない。たいていはこんな具合だ……

 あれはたしかに夫だった。


引き続き読書(ポロドージャイシテイニャ)。本の終わりのページを開き、締めの文を読む。

 それはこんな風である。

 私はパンくずを払い、また次の獲物をさがし始めた。


③読書の時間は終わり。またひとつ賢くなった気分だ。本のページを閉じて、反応炉(シュタイントップ)に放り込め! 炉の中は荒れ狂う熱と光の渦だ。その中では本も盛んに炎を上げて燃えているように見える。けれど本は燃えない。ただ冒頭-終結の物語の位置の差を、エネルギーに変えて物理的に放出しているに過ぎない。ジャジャーン! JUN-VUN変換だ!

 大量の本が押し合いへし合い燃焼しているさまは美しい。心奪われる眺めだ。得も言われぬ物語の輝きだ。オホーツクから来て山岳の急流を登る鮭(シペ)のようだ。私にも鮭を愛でるV釧路的感覚があるとは思いもしなかった。やはり本は心を豊かにしてくれる。

廃棄(ヴビツェ)。実験に使った後の本だが、こんなかさばるものはいつまでもラボに置いておけない。そのうえ変換を行った後の本は毒のあるジャガイモのように危険だ。どうなるかわかったものではない。なので用の済んだ本は専門の廃棄業者に引き渡している。そんなことを生業にする者がいると私はついぞ知らなかったが、向こうは心得たものだ。なんでもV釧路平野に最終処分場(エンラガーシュテット)を建て、そこで本を適切な処置を加えているそうだ。実に灵丹妙药(リンダンミャオヤオ)と言えよう。

 こうして私は本を薪代わりにして日々研究を続けている。JUN-VUN変換は未だ実用段階にないが、来るその日のために書籍の増産は急務だ。電子書籍では効果がないのだ。できるだけ多くを紙で刷り、刷った端から反応炉にかけなくてはならない。

 ……とまあ、こんな風に説いたところで、私にはおまえの面白くなさそうな顔が目に浮かぶようだ。ご本は大事、一から十まで読まないことには捨てるなんてもってのほか、というわけだ。そうだろう? V・笨蛋(ヴォ・ベンダン)

 私はおまえのそういう態度を、内心あなどっていた。常識的感覚へのおもねりであろうと。それ以前に、まず本とはただのヒラヒラだと思っていた。燃料の詰まった単なるマッチ箱に過ぎず、そこへさらにカッコ書き、※印、脚注、絵文字等を付け足すことはありえないと思っていたのだ。ついこのあいだの話だ。その私が初めて、実験に使ったあとで本を読んだ。

【「その3 読書、引き続き読書(シテイニャ、ポロドージャイシテイニャ)」に続く】

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マツモトキヨシ

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