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聖徳太子とはどんな人なのか、初心者向けに説明

歴史の教科書に必ず登場する聖徳太子。

どんな人なのかと思う人がいると思います。

聖徳太子は、古墳時代から飛鳥時代にかけて生きた皇族の政治家です。

聖徳太子のことを簡潔に説明していきます。

聖徳太子とは

本名は厩戸王子(うまやとのみこ)574〜622。

豊耳聡聖徳(とよとみみしょうとく)、上宮太子(じょうぐうたいし)など、様々な呼び名があります。

父は用明天皇であり、古墳時代から飛鳥時代にかけて生きた皇族です。

天皇を補佐する摂政という役職であり、倭国の政策に関わっていた政治家でもあります。

聖徳太子が行った主な政策は以下の4つです。
・冠位十二階
・十七条の憲法
・仏教の興隆
・遣隋使を送る

冠位十二階

冠位十二階は、位を12段階に分け、実力に応じて位を分けるという制度です。

位は、上から徳・仁・礼・信・義・智とあり、大徳・小徳という、各位の頭に大と小を付け加えて合計12個あります。

位によって冠の色を分ける仕組みもあり、徳から、紫・青・赤・黄・白・黒になります。

今までは、豪族と呼ばれる力のある者が権力を握り、代々同じ一族の人が引き継ぐという支配的な仕組みです。

独占させず、尚且つ有能な人物を取り上げるために、昇進できる仕組みにしたのだと考えられます。

例として、遣隋使であった小野妹子が一番上の大徳まで昇進しています。

位の低いものでも実力に応じて昇進できるという制度です。

十七条の憲法

日本で初の憲法であり、倭国の仕組みを整えるために作られました。

国民にではなく、国の役人に対して記した規則です。

下記は書き下し文と意味であり、文は省略しています。

・第一条、和を以て貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ。
協力し合い、争いは起こさないこと
・第二条、篤く三宝を敬え。
仏、法理、僧侶を大切にする
・第三条、詔を承りては必ず謹め。
天皇の命令には従う
・第四条、群卿百寮、礼をもって本となせ。
身分問わず、礼儀をもって物事を行う
・第五条、饗を絶ち欲を棄て、明らかに訴訟を弁えよ。
裁判は公正に行うこと
・第六条、懲悪勧善は古の良典なり。
善い行いは褒め、悪い行いは正すこと
・第七条、人各任有り。
各役職には、適任者を選ぶ
・第八条、群卿百寮、早く朝りて晏く退れ。
朝早く出勤し、夜遅くまで取り組むこと。
・第九条、信は是れ義の本、事毎に信有るべし。
毎回まごころを持って取り組む
・第十条、忿りを絶ち瞋を棄て、人の違うを怒らざれ。
怒りを表に出さず、人が自分と違うことをしても怒らない
・第十一条、功過を明察し、賞罰は必ず当てよ。
功績と過ちを調べて、それに見合う賞罰を行うこと
・第十二条、国司・国造は、百姓を斂ること勿れ。
役人は勝手に税を取らない
・第十三条、諸の官に任ずる者は、同に職掌を知れ。
自分の職務をよく知ること
・第十四条、群臣百寮は、嫉妬有ること無かれ。
嫉妬の気持ちを持ってはならない
・第十五条、私に背き公に向かうは、是れ臣の道なり。
地位を利用して、私欲に走らないこと
・第十六条、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。
農作業が暇な時期に、民を使うのは良く教えである
・第十七条、夫れ事は独断すべからず。
物事は1人で判断せず、皆と話し合うこと

日本で初の憲法であり、国の仕組みを整えました。

仏教の興隆

法隆寺、四天王寺などの寺を建て、聖徳太子も深く仏教を学ぶなど、倭国に仏教を取り入れようと尽力しました。

世界遺産に登録されている法隆寺は、父である用明天皇の病気が治ることを祈願するために建てようとしたが、叶わぬまま亡くなりました。

息子の聖徳太子が引継ぎ、建立しました。

しかし、法隆寺は一度焼失しており、今ある法隆寺は再建されたものです。

十七条の憲法の第二条、「篤く三宝を敬え」も仏教の教えが反映されています。

仏、法理、僧侶を大切にする意味であり、仏さま、仏教の教え、お坊さんのことです。

仏教は日本の国造りに深く関わっていました。

遣隋使を送る

遣隋使は、隋に行き国際交流を行う役人のことです。

東アジアで一番文化が進んでいたのが古代の中国である隋であり、進んだ文化を取り入れようとしました。

冠位十二階や十七条の憲法も、隋の文化を参考にしたものと考えられます。

小野妹子が遣隋使として赴いたのが有名です。

倭国から多くの者が留学生として隋に滞在し、帰国後は国造りに貢献しました。

古代中国の文化は、日本の国造りに大きく関わっています。

まとめ

・聖徳太子(574〜622)は、古墳時代から飛鳥時代にかけて生きた皇族の政治家

・本名は厩戸王子(うまやとのみこ)

・聖徳太子が行った主な政策は、冠位十二階、十七条の憲法、仏教の興隆、遣隋使である

・冠位十二階は、位を12に分け、実力に応じて位を分けて昇進できる制度である

・十七条の憲法は、日本で初の憲法であり、国民にではなく国の役人に対して記した規則

・法隆寺、四天王寺などの寺を建て、聖徳太子も深く仏教を学ぶなど、倭国に仏教を取り入れようと尽力していた

・遣隋使を送り、隋の進んだ文化を取り入れようとした


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