見出し画像

山本七平 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヶ条

さて、こちらは Kindle で読んでいたのであるが、たいへん興味深い内容であった。

小松真一なる化学技術者の南方での従軍経験を綴った『虜人日記』を底本に、そこに注釈を加えていくといった形で、日中戦争および太平洋戦争における日本軍ないし日本国の敗戦の要因について分析するといったものである。

まずは私としても、小松の挙げている敗因21ヶ条を素朴にコピペしたい。なぜなら、山本も指摘するように、これは日本人の生き方による敗北のパターンのテンプレートだからである。そして、当然のことながら(これが当然である、となるところが山本七平を読む第一の意義だ)、このテンプレートは現代においても通用する。

敗因二十一ヵ条
一、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた
二、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった
三、日本の不合理性、米国の合理性
四、将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
五、精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
六、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
七、基礎科学の研究をしなかった事
八、電波兵器の劣等(物理学貧弱)
九、克己心の欠如
一〇、反省力なき事
一一、個人としての修養をしていない事
一二、陸海軍の不協力
一三、一人よがりで同情心が無い事
一四、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
一五、バアーシー海峡の損害と、戦意喪失
一六、思想的に徹底したものがなかった事
一七、国民が戦いに厭きていた
一八、日本文化の確立なき為
一九、日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
二〇、日本文化に普遍性なき為
二一、指導者に生物学的常識がなかった事

どうだろうか。なかなか耳が痛い話である。私がこれまで関わってきた情報産業における日本の全面的な敗退の要因と重複しているところがかなりある。

現代のテックビジネス界隈には、ブルーオーシャンやウィナー・テイク・オールといった原則があるが、そのことがとりもなおさず意味しているのは、競争においてはそのルールを策定したものが、もっとも強いということである。

だが、山本も再三指摘するように、日本人は決定的にこの部分が弱い。なぜそうなるかといえば、ようするに日本人は空気によって自らの動きを決めるという行動様式が標準であり、空気とは特定の個人ないし主体が提出、定義できるものではないから、どうしても原理的にブルーオーシャンに一番乗りということができないのである。

競技内容が明確に定まれば、それに向けて研鑽していき、その結果として謎の(つまり本来的に設計されていたわけではない)領域にまで到達することはできるのだが、競技自体を自ら定めることができないのである。それは現代的な言い方でいえば、ゼロからイチと、イチからジュウになる部分が徹底的に弱いということである。

そして、このことを長期にわたる団体戦の言い方で書き下してみれば、小松の21ヶ条にかぎりなく近づいていくことになる。

この詳細について、私はここで山本七平にならって、各条ごとに注釈をつけて、実際に生じている事例について挙げていくことも、手間さえかければできなくもないのであるが、様々な怨念が噴出してきそうなのでここでは控えるのが適切であろう。私としてここで言いたいのは、ようするに現代のテック系、あるいはエンターテイメント業界においても、この21ヶ条の大部分は当てはまっているのであり、我々が最終的に米国勢に遅れをとるのは、ようするに今でもこうした要因によるのであって、この業界にかぎった話でもなければ、市場経済における企業間競争にかぎった話でもないということである。

そして、私にとっての問題は、この現実を前提として受け入れたうえで、私たちはどうやって生き残っていけばいいのだろうか、ということに尽きる。わけなのだが、恐ろしいことに、ブルーオーシャンとウィナー・テイク・オール原則が支配するグローバリゼーションの環境においては、限定された領域であるにせよ、自ら何某かの掟を定め、その掟によって、パブリック空間において支配的勝利を収めるということをせねばならないのである。その空間においては多様性や共生などというものがあってはならないのだ。

その際に、その場に適用されるルールは独自で、真似ができないものがよい。というより、そういったルールの確立こそがブルーオーシャンの成立ということなのであって、その逆ではない。であれば、日本企業において実現されるルールなるものは当然のことながら日本人的行き方のサブセットにほかならないだろう。米国式グローバリズムの劣化コピーでは本家に乗っとられて終わるだけである。そういったことをあらためて認識させられる書物であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?