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ポール・ダノ「ワイルドライフ」

ひさびさに映画館で映画を観た。近くのイオンでこうした単館上映系の作品がかかるのは珍しいが、まぁ、ようするにスタッフとキャストのネームバリューということだろう。

出来は、まぁ、普通によくない。ポール・ダノの初監督作品ということもあって、低予算で製作されているのだろうが、まぁ、単純に撮影下手だよね、という感じであるし、演出もこなれていない。やりたいことはわかるのだが。

まぁ、なんだろう、ようするにサリンジャーがやりたいのである。が、そのためには、おそらく色づくりや彩度の調整から始める必要があるだろう。やはり、米国には米国の色というものがあり、現在におけるそれを探し当てることから始めねばならない。たしかにもうヴィンセント・ギャロを持ってくればいい、というわけではないわけなのだが、現代劇ではなくて、昔話を選んだのだから、そのあたりも含めて借用する余地があったようにも思われる。

単純なストーリーとしても、心理劇としては弱すぎるし、不在がテーマであるにしても、その不在の深さがぜんぜん足りていない。信頼や愛についての話、あるいはその反対の不信と幻滅についての話というわけでもない。小さな家族が、小さく戸惑って、そしてその状態から抜けていく、というだけのことである。変わったのは、ようするに子供が年齢を積み重ねて成長したり、安定した職が見つかったりといった状況的、物理的なもので、彼ら自身がどのように変化したのか、というところについての言及はほとんど皆無である。べつに克己をしろ、といっているわけではないのだが、始まりと終わりとの間になにか変化があってほしいとは思う。もともと不幸でも幸福でもなかった彼らは、おしまいでもまだそんな感じである。とくに希望があるというわけでもなく、ようするに同じ場所で頑張っているとえられる類の何かが外からやってきたというにすぎない。そんな話はさすがにちょっとわざわざお金を出して見ようとは思わないのであるよ。

次は逃げずに、今の話を描いてほしいものだ。まったくもって余計なおせっかいではあるが、ウィンターボーンなどは参考になるだろう。

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