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人間の本能ってなんだろう? Vol.2

「人間の本能ってなんだろう?」

ちょうど1年ほど前、この問いについて考えていた時期がありました。
アートユニットukiとして作品を展示する時がそれにあたります。

理由は分からないのですが、僕が今まで投稿してきたnoteの中でこの記事が圧倒的に多くの人に見ていただいています。何故だか分かる人がいたら是非教えて欲しいです。


今回、その展示のvol.2が開催され、それへの出展を機にもう一度「本能」について考える機会ができました。

とは言っても、「本能」ってみんなのどこかに必ずあるはずなのに普段はあまり意識していないように思います。1年前にも書きましたが、こんな問いなんて大半の人にとっては時間をかけてするようなことでもないし、距離感のある問いだと今でも思っています。
でも僕はどうしても違和感を感じることがあってまた「本能」について考えてしまうのでした。
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ここ最近、僕はずっと違和感を感じていた。

僕は今年の春、世の中の喧騒とは裏腹にひっそりと沖縄を離れ、新天地にて新しい生活を始めた。そして学部生・院生という6年間の大学生期間を終えてついに社会人になった。やっと社会人としてスタートできるのかと、色々と思いを巡らせていたのを覚えている。
しかし世界はそれどころではなかった。全世界的に非常事態に追い込まれた。それに対応するかのように、多くの人たちがパソコンやスマートフォンなどのデバイスを使って仕事をしたりコミュニケーションを取るようになったのではないかと思う。それから僕もその流れに身を任せるようにデバイスのディスプレイを覗き込み、すぐに会えない距離にいる人とコミュニケーションを取るようになった。沖縄で出会った友達、しばらく会っていなかった友達、共通の話題をシェアできる人たちと繋がろうとした。

僕はディスプレイの光に何かを期待していたのだろうか。
でもそれはこれまでと何かが違う。何かが足りていない。ずっとそう感じていた。

ディスプレイの光には、「物質的な体験」いわゆる身体に記憶されること、例えば同じ空間にいる時間、その場の気温や湿度、明るさ、匂い、雰囲気などがぽっかり失われていることに気が付いた。

そう考えた時に、僕らはディスプレイの光から得られる情報を「物質的な体験」と等価に捉えて良いのだろうか。
それがこれからの”コミュニケーション”や”繋がる”ということのベースになってしまうのだろうか。

僕にはまだ、その光が「虚構」に感じて仕方がない。

この作品の中には複数の「りんご」がある。そのどれもが「りんご」だが、決して同じ「りんご」であるとは言えない。ただ僕はそれを誰かに伝える時に「りんご」以外の言葉が見つからない。それは僕がディスプレイの光を「虚構」と感じる理由と同じなのかもしれない。
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今回僕は自分たちの作品が展示されている会場に足を運ぶことができませんでした。相方から話を聞いたりSNS上の情報を見ながら、少し俯瞰した状態で作品を眺めていました。
アートは身体を使ってその空気を体験し、全身をフルに使って作品を感じ、様々な感情が生まれることが重要な気がします。まだ僕はプレイヤーとしてアートに向き合いたいし、成長したいと思いました。
ukiとしての活動はまだまだ続くし、次なるステージを目指すタイミングが来ているとも思いました。
会場に足を運んだりコメントをいただきました皆さま、アーティストの皆さま、運営スタッフの皆さま、相方のu、ありがとうございました。

展示の開催概要はこちら。

「アップルに照らされる林檎」 
 uki : Uzuki Okubo + Kiyoto Hasegawa
・企画展名:DELIRIUM Vol.2
      Opportunity to bring back human instincts
      - 本能を呼び覚ますアート展 -
・会  期:2020 年11 月25 日(水)~12 月7 日(月) 11:00 – 20:00
・開催場所:渋谷ヒカリエ 8/CUBE
・主催:一般社団法人Evolve Art & Design Japan


ukiのホームページも更新しています。
お時間ある時に是非覗いてみて下さい。


コメントや意見、批評など、いつでもお待ちしています。
これからもアートユニットukiをよろしくお願いします。

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