見出し画像

4月2日について

2020年4月2日。

毎日色んなところで色んなことが起こっていると思うが、今年に関して言えば、この日は僕にとって社会人としての生活が始まった日である。
僕はこの春から愛知県にある建築事務所で働いている。
そして、もうすでに働き始めてから1ヶ月が経っていた。

多くの人は先週あたりからゴールデンウィークの休暇を過ごしていると思うが(というかもうそろそろ終わってしまうか)、僕はとりあえずこの1ヶ月について振り返ろうと思っている。

1ヶ月

率直な感覚として、あれからもう1ヶ月も経ったのか、と思っているのが正直なところである。

3月末に沖縄を離れて愛知に来てから新しい生活が始まってはいたが、4月2日までは大学生から社会人になるという変化そのものがなかなか実感できず、何がどのように変わるのか、どんなことが起こるのか、楽しみにしつつもどこか不安な時間が多かった。
それもあってか、1日中お家の中にいても変に疲れている、もしくはずっとそわそわしているような日々が続いていたような気がする。ちょっと繊細すぎるだろって思えるような状態である。

そんな日々が過ぎていく中で、周りは桜が綺麗な時期を迎え、気温も暖かくなり春の兆しを十分に感じられるようになっていた。

初出勤

そして4月2日を迎えた。初出勤の日だ。僕が行っている事務所は4月1日からではなく、何故か2日からスタートだった。
予想通り、前日はあまり寝れなかった。でも朝は思っていたよりスッキリ起きることができた。事前に自宅と事務所の距離や道のりを調べていたので、朝は慌てずにスムーズに出ることができた。とはいっても、結局予定の時間よりもかなり早くお家を出ていた。ここでは、もうワクワクする気持ちでいっぱいだったはずだ。居ても立っても居られないという気持ちである。早速、新しい自転車を漕いで事務所に向かい始めた。

僕は今、新しく買った自転車で事務所まで通勤しているのだが、ちょっとカッコいいのを買って気分を良くしたいと思い、思い切って乗ったこともないクロスバイクを買っていた。乗り心地は想像以上に良くて、かつ今まで自転車で感じたことのないくらいのスピード感にとても満足している。

この日は春先の気持ちいい日差しを感じる日だった。
ただ僕は、このペースで行くとあまりにも早く事務所に着いてしまうと感じていた。その時、道中にある川を渡る橋を通ろうとした時、川沿いにある桜並木を見つけた。僕はそれにつられて事務所とは違う川沿いに向けて自転車を方向転換していた。
4月に桜を見たのはいつぶりだろうか。長らく沖縄にいて、4月に桜が咲いているのを見るのは久しぶりだった(沖縄では1月後半〜2月にかけて桜は咲く)。
風に揺られてひらひらと舞う桜の花びらはこんなに心を穏やかにするのかと、どこか妙に感動していたような気がする。どこまでも続いているんじゃないかと思うくらい続く桜並木を数十分ほど走った後、それまで走った道とは違う向かい側の道に沿って来た方向を折り返し、昨日調べた事務所に向かう道に戻った。

結構な距離を遠回りしたのに、結局事前に言われていた出勤時間より早く事務所に着いた。これまでインターンや研修などで事務所には何度も来ていたが、この日、事務所に来た時が一番ワクワクしていたと思う。

それから、以前からお世話になっている先輩スタッフや代表と久しぶりに会い、軽いあいさつや事務所の説明を受けた。そして僕は、早速あるプロジェクトを任されることとなった。

ちょっと考えたこと

それからは毎日、これまでやったことないようなことばかりする日々が続いた。詳細なリサーチ、見積もりの依頼、書類やデータ作成、そして打ち合わせなど、様々な業務を同時進行で進めているうちに、あっという間に1ヶ月が過ぎていた。

僕にとってはそのどれもが新鮮で、刺激的で、スタッフの皆さんとの些細な会話からも色んなヒントを得ようとしていた。僕が想像していた以上に、これは僕が求めていた環境で、僕にフィットするのかもしれない。毎日のように建築の話をし、建築に関わる議論を重ね、それも踏まえて実際に手や足を動かす。日常の中に建築が、または建築の中に日常を入れてしまうとでも言えるだろうか。日々の生活の中にずっと前から当たり前のように建築が存在する。建築するという行為が、生活するとか生きていくというような人の行動における包括的で大きい行為と言える領域と密接する、交わるような状態が生まれている。

しかしこれは、学生時代からやっていたこととそんなに大きく変わらないのではないだろうか。建築を見に行く、本を読む、議論をする、設計する。
内容や密度は変われど、やっていることがそこまで大きく変わってはいないし、確実に繋がっていると思える。

僕は4月2日が来るまで、それまでやってきたこととその後やっていくことについて、過度に線引きをして分けようとしていた気がする。学生と社会人は違う、学生時代の設計とリアルな建築を生み出す行為は何か違う、そして、社会人になると何かが変わると思っていたのかもしれない。そんなに意識していたわけではないが、僕は内心そんなことを考え、それが当たり前だとして、色々と思考を巡らせていたのかもしれない。

実際、社会人になったからって学生の頃より賢くなるわけでもないし、僕の場合は全く違うことをやるわけでもない。事務所に入って経験を積んだからって将来立派な建築家として食っていけるわけではないのである。そんな確立されたルートや方法なんてどこにもないし、あったとしてもそれ通り上手くいく人なんてほんの一握りでしかないだろう。

どこまでいっても経験や思考は積み重ねるものであって、突然変異のようなジャンプが起こり、それまでとは劇的に全てが変わってしまうようなことはほぼ無いということを再確認した。今振り返ると、この1ヶ月はそんな当たり前のようなことを見つめ直し、仕事というか、建築という行為を行う感覚を養うための基盤となる部分を鍛えることができたと思う。

最後に

少し余談だが、1年前の4月2日といえば、後に9ヶ月ほど活動することになる友人のu(大久保卯月)と共に結成したアートユニット「uki」としての活動を本格的に始めた日である。現在は活動を休止しているが、これまでの活動については、僕が過去にupしたノートやホームページを見ていただけると何となく分かるかと思います。

ホームページのURLについては下記にリンクをつけときます。


そういえばあの時も、4月2日は今年と同じように新しいことを始める日だった。その時は、そこから9ヶ月も一緒にuと活動を続けることなんて全然考えきれてなかったし、コンペで選ばれたり東京と沖縄で僕らの作品を展示できるとか、全く想像していなかった。
ある意味僕としては、生きるとか生活するとかそういう感覚に近い状態で「アートする」ことをやってみた、というような感じだったような気がする。

今は全世界的に厳しい状況が続いている。そして未だに、それらが収束することが予想しづらいのも事実である。
ただ僕らは、世界がどうなろうが生きるために考え続けるしかない。経験や思考を積み重ねるしかない。そして、ひたすら前に進むしかない。
この期間、SNSやテレビから流れてくる情報からこれまでにないようなメンタル的影響を受けているのは間違いないが、これも僕が生きていく中の1つの状態であることに変わりはない。
僕はこんな悲惨な状況さえも、未来に向けてしっかり積み重ねていきたい、残していきたいと思う。

この先どんな未来が待っているか分からないが、今は来年の4月2日がどんな日になるのか、今度はどんな新しいことが始まるのか、密かに楽しみである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?