1972


夏空にそびえたつ太陽の塔が、真夏の日差しに耐えかねて、じりじりとホワイトアウトしていく。

僕は、ただじっとその様を見ていた。


いつか、幾星霜をこえて。

僕たちの、そして、彼らの愚かな願いが、叶いますように。



1972年。

バリケードと、林立する立て看板。
密集した学生ヘルメット部隊の中に、僕はいた。

たなびく無数の赤旗には「反戦」「ベトナムに平和を」などと書かれている。


「未来を創造するのは、いつだって大衆エネルギーなんだ」

振り返ると、ヘルメット姿の相楽が旗を振って嬉しそうに笑っていた。

「相楽。来てたのか、お前も」

「聞こえるのはただの二月の空っ風、なんて言ったのはどこの誰だったかな」

相楽はおどけて、僕の肩を抱いた。

そんな相楽に、僕は諦念のようなため息をつく。



「まあ、連赤の騒動で運動自体が下火になったのは本当のことだからね。

戸塚は京都のジャズ喫茶に行った。高津は大分の実家。小木曽にいたっては南国のコミューンときたもんだ」

相楽はじっと僕を見て、そのあと少し笑った。

「でも伊丹よ。あれ以来、あの世へ行った奴は一人もいない。それでいいじゃないか。それで」



響き渡る学生の怒号が耳に痛い。活気を帯びるデモ隊に紛れていく相楽を、僕はぼんやり見ていた。

村正がデモの揉み合いで機動隊に殺されたあの日から、相楽は学生運動をやめたはずだった。



「もう革命で人を殺すな」



ボブディランの『Like a Rolling stone』が流れる純喫茶で、そう言った相楽のいつになく真面目な顔が忘れられない。

それなのに、どうして今、相楽はデモ隊の中へ分け入っていくんだろうか。

これは僕の幻想なのか、あるいは。



黒光りする湖。真ん中に浮かぶボート。

血だらけの相楽は、ボートに気だるげに横たわり、夜空を見上げている。

相楽の右手がだらりと水に浸かり、水面に波紋を生んでいる。


「だけどね、伊丹。俺たちにとって世界っていうのは……ごく個人的な問題に過ぎなかったように思えてならないんだ。だって僕はあの夏、本当なあの塔を見に行きたかった。くだらなく醜悪で、権力のためのお飾りでしかなかったはずの、あの塔を、一度でいいからこの目で……」




相楽はそう言い残して、目を閉じた。

その目は、もう二度と開くことはなかった。


そこでやっと分かった。相楽は革命を許したわけじゃない。相楽は、死にたかったんだ。ただどうしようもなく生きるよりは、意味を持って美しく、そして潔く、死んでしまいたかったんだ、と。



僕の部屋は、壁じゅうにガンジーの写真が貼ってある。

マルクスレーニン主義や共革派の機関紙『故郷』は紐でゆわかれ、部屋の隅に置き去りだ。


★★★★★★★★


家に帰った僕は、ガンジーを片っ端から剥がして、壁にクレパスで無数の星を描いた。

このなかに、相楽がいる。村正も、革命で死んだ同志たちも、すべて。


内乱。武力闘争。思想のぶつかり合い。

そうして死んでいった仲間たちは、いったいあの時、何を守ろうとしていたのだろか。

僕にはもう、分からなかった。




すべての星を描いたあと、僕は警察署に行った。

40代半ばの目の落ち窪んだ警官がぼんやり星を眺めていた。

警官は僕を見ると、「今夜はやけに星が綺麗だな」と言った。

僕が黙っていると、警官は続けた。



「警察学校時代、教官に聞かれたことがあるんだ。人は性善説か、性悪説かって」

僕は思わず口を挟んだ。

「ナンセンスな質問です。荀子の性悪説は単に罪というわけでなく……」

「まあいい。聞けよ。俺は言ったんだ、性善説だと。人は本質として善であると。そう信じたいと。……教官は俺を鼻で笑ったよ。そんな人間が、警察になんかなるべきじゃないって」


警官は真面目な顔になり、僕を見る。

「殺していい人間なんて、本当は一人もいなかったんだ」

「嘘つけ。お前たちは村正も相楽も、虫けら同然のように思っていたくせに。だからあんな風に簡単に殺すことができたんだ」

「それは違うよ、君」

僕はなけなしの銃を取り出し、警官を撃った。警官はあっけなく倒れた。僕は走って逃げた。夜の街は僕に味方しているように明るかった。




僕は笑いが止まらなかった。
人間なんて簡単に死んでしまうんだ。

そう思うとこれまでのすべての出来事が茶番に思えて、笑えてくる。

いつのまにか僕は煙草の吸殻とビール缶と汚れた新聞紙だらけの地面に倒れていた。

もう疲れたよ。もう。




気がつくと、白い。この白が、夏の日差しだと分かるまでに、数分かかった。

目の前には禍々しい太陽の塔がそびえ立っている。

どうやらここは夏の昼下がりで、万博は開催間もない。まだ村正も、相楽も生きている。

太陽の塔は容赦ない夏の日差しに耐えかねて、白く消えかかっていた。





憧憬に似たしめつける想いだけが、僕の胸を支配していた。

それはすべてを飲み込んだ。

ジュラルミンの盾も、村正の真赤な背中も。

幻想の中に輝く、故郷さえも……






学生運動の時代を私は知りません。太陽の季節ごっこと言われてもピンとこないし、あさま山荘と聞いてもカップヌードルのことばかり連想される。

だけど私は、よく考えるんです。
今の私と同年代、いやもっと年下だったあの頃の若者たちは、どうして映画や恋やウィンドウショッピング以上に学生運動にのめり込み、どのような背景があって国家に対抗するエネルギーを持ち合わせていたんだろうと。そして、どうして大義名分のために自分の命まで投げうつことができたのだろうと。

私にはあの時代が分からないことがばかりなんです。
だからすごく知りたいんです。だってすごく熱いから。あの熱狂を、私は知る由もないから。
少なくとも私は、革命のために死ねない。

羨ましいんだと思います。
村正や相楽や伊丹のような若者を生んだのは、時代ですか?それとも……



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