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親の後を継いで

子供の頃から、将来の夢は親の後を継いで染物屋さんになることと決めていました。仕事に関しては、得意先や職先には、小学生の時から車の横に乗って一緒に連れまわされていたので、違和感なくすんなり入っていきました。また、工房内での仕事でも手仕事の染物も中学生の時からやっていたので全く問題がありませんでした。

父親は、自宅を東京に置いて、染織工房を栃木県に建て、人に任せてやっていましたが、仕事自体の減少でその規模を縮小していました。私は、その栃木県の工房に住むことを決めました。それによって、雇う人も一人だけになりました。

さて、染物屋さんになったのですが、すでに呉服業界自体が斜陽産業になっていました。特に製造部門は、需要が無くなっていて、商社が製造を中国に移行させていて、国内生産が激減していました。

そこで、経験を活かし呉服の販売をメインに切り替え商売の道に入っていきました。原価になる白生地を購入して、オリジナルを制作したり、呉服物を問屋さんで借りて販売しました。

最初に、親の知り合いでのホームブティックの開催です。特定の人の家に知り合いを呼んで頂き、そこでの呉服の販売です。拠点を作り、月1回程度、販売見込みが無い時は、間を開けて、知り合いの知り合いという感じに拠点も、ずらして行いました。

もう一つの販売方法として、私と奥さんとは、同じ表千家のお弟子さん同士と言う関係で仲人をそのお茶の先生にしてもらいました。その関係でお茶をやる人専門に呉服の販売を展開しました。

販売に関しては、更に商工会議所や公民館施設を借りて、新聞チラシを入れて展示会を開いてみました。

ただ、ドンドン着物の需要が無くなり、取引のあった問屋さん達が、廃業していき、新規顧客の創造ができなくなっていきました。

45歳の時、染物屋さんを引き継いでから20年以上やってきましたが、本格的に私自身は別の仕事に就くことにしました。今も会社自体は、廃業せずに、着物のリホームや仕立てだけの注文を受けています。そしてそこは奥さんだけでやっていけるスタイルになっています。

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