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【ソシガヤ格闘記・第3朝】時計の針から脱却せねばならない。

こんにちは。初めまして。
慶應義塾大学メディアデザイン研究科修士2年、
休学中の吉田凌太(よしだりょうた)です。

昨日のウルトラまちづくりの会は何か新鮮でとても面白かった。
歴史を経て今は近隣の日大商学部の時田学先生の研究室の学生が毎年恒例行事を運営しているらしい。物悲しさも少し感じつつ、運営されているイベントがあることを知った。

参加したことで得られた奇跡のなりかけもあったので、これは機が熟したら共有していきたいと思う。

そんな会議と幾ばくかの困らせごとを経て、
朝僕は目覚めた。とても気味が悪かった。頭が激しく泣いていた。
ふと目の前の時計を眺めると、いつもの如く時計の針は360度の円を描き、
また繰り返す。そんな働き者の長針とは対照的に、短針は不貞腐れていた。

ここまで2カ月くらいいろんなことに精を出してきた。
まだ言えないこともたくさんあるが、自分としては全力を出してきた。
別にこれ以上頑張ることもできたが、それ以上ないくらいの自信はある。

ふと布団から見えた長針がまるで自分を物語っているように感じた。僕は時計の長針でもないし、ずっと同じところを連続的に回ってるつもりもない。ただ自分の状況を改めて静観した時に、なんとなく長針くんになっている気がした。もっとしなやかに、かつ人間味あふれる形で動いていたい、そんな欲とは対照的に僕はいつの間にかカチコチになっていたのかもしれない。
ロカンタンが水辺の石を拾った時の、嘔吐の感覚に近いのかもしれない。

話は逸れるが、自分の趣味はドライブである。雨の日に懸命に働くワイパーを運転席から監督の如く眺めながら思う。生まれ変わって一番なりたくないものはワイパーだと。あんなにも懸命に働いたにも関わらず、自分の担当領域は固定である。仕事が終わったと思ったら、首輪を固定された状態で、窓の下に固定される。

無論、ワイパーはめちゃくちゃ格好いい、縁の下の力持ちである。
ただ今の僕はそれにはなりたくない。

だから今日は一日情報端末から極力離れ、長針くんからの脱却を図りたいと思う。ソシガヤでのまちを面白くする上で、何かから離れ、逸脱する行為も必要なのかなと感じる。これも考えすぎかもしれないが、自然の赴くまま今日は過ごしてみようと思う。

富士の山を見ながら、片手にスケッチブックと花粉症の薬を持って、絵を書こうと思う。自らの人間的感性を取り戻せば、きっと明日から違う未来が待っていると期待して。

とりあえずまだ旅は始まったばかり。
ここからこの先どうなるかはわからないけど、僕は歩き続ける。
祖師谷の仲間と共に。


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