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コリアの少女

 待合室のベンチで、少女に出会った。「お父ちゃんの手術しよるんよ」と、彼女の方から突然声をかけてきた。人見知りの私は面食らった。色白で痩せた、水仙の花みたいな女の子だった。私たちの様子に気がついた彼女のお母さんらしい人が近づいてきて、困ったように、私に何度も頭を下げた。私はどうしていいかわからず「こんにちは」と言ってお辞儀をした。
 少女のお父さんを手術したのは、院長である私の父だった。「朝鮮の人だよ」と教えてくれた。日本人の父は、日本の植民地であった朝鮮の京城(ソウル)に生まれ育った。私が子供の頃は韓国人を差別する人もいたけれど、父は違った。父にとって朝鮮半島はふるさとである。そのせいか韓国人の患者さんが多かった。
 病院の最上階が自宅だった。毎日、学校帰りにお父さんを見舞う少女は、私の部屋に遊びに来るようになった。同じ歳で、日本人の名前だった。私たちは、リカちゃん人形で遊んだり、「りぼん」を読んだりした。ピアノを習ったことがない少女に「猫ふんじゃった」を教えてあげたら、すぐに弾けるようになった。玄関につないでいたボクサー犬のことは、毎回怖がって、私に抱きつくようにして子供部屋に行った。少女が「リカちゃん、もっとらんのんよ」と言うので、「欲しいぶんが決まったら、ひとつあげる」と指切りした。
 何日待っても少女が姿を見せなくなったので、父に訊いたら、少女のお父さんは亡くなられたとの事だった。リカちゃん人形、あげることができなかった。
 高校生になったある日、路面電車の中で、少女と出くわした。朝鮮学校の制服を着ていた。嬉しくてたまらず、彼女の名前を、ちゃん付けで呼んだら、一瞬、凍りついたような表情になった。そのまま背中を向けて、私と離れた場所に彼女は移動した。
 成長するということは、傷つく可能性を減らすために、心に暗い煉瓦を積んで、壁を築いていくことなのかもしれない。とても悲しかった。少女の名前は忘れてしまった。

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