柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』を読む(2022/12/11読書会レジュメ)

1章「風景の発見」 7章「ジャンルの消滅」の概要
(引用ページは岩波現代文庫『定本 日本近代文学の起源』に準拠)

◎1章 風景の発見

1 漱石の『文学論』
「文学」を形式において見る。
西洋文学の発展を必然として見ない。
→ ほかの道もありえたが、現在のようになったものとして西洋文学を見る。
p15
「漱石が拒絶したのは、西洋的な自己同一性(アイデンティティ)であった。彼の考えでは、そこには「とりかえ」可能な、組みかえ可能な構造がある。……」

2 近代以前の風景画
漱石『吾輩は猫である』や『草枕』の自然主義から外れたスタイル
→ 反自然主義 ではなく 近代文学 を疑っている。
(反自然主義は自然主義を前提とするゆえに近代文学の一部としていある)

「山水画」← 近代西洋の風景画を通して見出された。
近代以前 山水画は風景ではなく宗教的なもの、概念を描き出すもだった、
(同様に「奥の細道」に書かれる「風景」は描写や自己表現ではなく、過去の文学や概念、名所として風景)
p23
「明治以後のロマン派は、たとえば万葉集の歌に古代人の率直な「自己表現」を見た。しかし、古代人が自己を表現したというのは近代から見た想像にすぎない。そこでは、むしろ、人に代わって歌う「代詠」、適当な所与の題にもとづいて作る「題詠」が普通であった。」

3 風景としての人間
国木田独歩「忘れえぬ人々」 → 人が風景の一部として描かれ、記憶される。
→ 「風景」は孤独で内面的な状態において見出されている。
p28
「いいかえれば、周囲の外的なものに無関心であるような、「内的人間」inner man において、はじめて風景が見出される。風景は、むしろ「外」をみない人間によって見出されるのである。

4 西洋の風景画と内面
西洋の風景画
→ ダ・ヴィンチの「モナリザ」から始まる(補助物や概念としてではなく風景が描かれる)。
ダ・ヴィンチ及び、ルネサンスの画家
→ 透視図法を受け入れつつ、それを絶対的なものとはしなかった。

ロマン派、ルソー
→ 「美しいもの」ではなく「崇高なもの」として風景を見出す。
→ 名所旧跡ではなく、「威圧的で不快でしかなかった自然対象に快を見出す」

p33
「カントは、崇高において、われわれは内なる理性の無限性が確認されるのだという。だからこそ、感覚的な不快にもかかわらず、それとは別種の大きな快が得られる」

・倒錯のステップ
1名所、旧跡を無視する → 2ごろん在る物や風景にぶつかる 
→ 3理性の働きが活性化する → 4物や風景が崇高なものに見える

5 リアリズムとロマン主義
p37
「近代文学は、対象の側に焦点をあてればリアリズム的であり、主観の側に焦点をあてればロマン主義的である。だから、近代文学はある時はリアリズムの観点から見られ、ある時はロマン主義の観点から見られる。」

反ロマン主義はロマン主義を前提とする点てロマン主義の一部。
リアリズムは実際にあるものを新しい姿で描こうとするゆえにリアリズムから離れる。

風景という球体
反物語→ 風景→ 内的思考→ 風景の物語化

◎7章 ジャンルの消滅

●ノースロップ・フライによるフィクションの四分類
・ノヴェル ・ロマンス ・告白 ・アナトミー

→だが、超ジャンル的な作家、作品がある。
漱石、メルヴィル『白鯨』、スターン『トリストラムシャンディ』

●逍遥と鷗外
逍遥 ノヴェルとロマンスを並列する。
鷗外 ロマンスから発展してノヴェルを目指すべきとする。
→ ノヴェル優位の時代だったので鷗外が優位に立つ

●漱石
超ジャンル的視座 ノヴェル「道草」、ロマンス「幻影の盾」「虞美人草」、告白「こころ」
反自然主義 ではなく 自然主義の外部としての写生文

●子規
芭蕉及び、俳諧連句を批判 → 実は「俳諧的なもの」の回復を目指している。
閉鎖的な共同体、予定調和を批判したが、俳諧連句場が当初もっていた多様性を俳句の革新によって目指した。

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