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映画「Dr.コトー診療所」を2回観てわかったこと①

初日初回に観た映画「Dr.コトー診療所」を再び観てきました。
お目当てはもちろん判斗先生ではありますが、私は脚本の勉強をしていたこともあり、脚本の意図を読みたくて読みたくて…一度では理解するのが難しかったり受け止めるのが難しかったりした部分を補えるのでは…と観てきました。

※完全にネタバレになるのでまだ見てない人はお戻りください(笑)

コトー先生が倒れた時の脚本演出の意図とは

いろんな掲示板やSNSを見ても「心臓マッサージをしていたコトー先生が、その手をとめ彩佳に向かって歩きだして、倒れたシーン」について「どうして誰も駆けよらないのか」とその脚本演出に不満を抱いている人がいましたが、それって結局「写実(現実的、ドキュメンタリー的な)」を求めているのであって、この部分はそれと一旦切り離して見たほうが良いのではと思っています。

なぜなら、そこにこそ、製作サイドの「届けたいメッセージ」があるのでは…と思うからです。

2回観て、私が考察したことを書き連ねていきます。

1.「あきらめない」コトー先生がどこまで追い詰められたらあきらめそうになるのか

あのカオスな病室においてもまだあきらめることをしないコトー先生。そのコトー先生が「どうやったらあきらめそうになるか」。

それは、体力の限界(自分の命の危機)+愛する人の危機(彩佳の切迫早産)しかなかったと思います。

あの時コトー先生は、はじめて患者から手を放して「愛する人に駆け寄った」。それは他の島民なら当たり前にする行為です。普通の人は仕事を放り出して家族を守るのは当たり前。


しかし、それをコトー先生自身が今まで自分に許していなかったし、そして島民もどこかで「先生は何よりも島民の命を優先してくれる」と甘えていました。

あのシーンは、それを突き付けられた島民が、その現実に動けないことをあらわしていたのではないでしょうか。

家族を、自分の幸せを優先する人生を、コトー先生が選んだらこの医療は崩壊してしまう」を体現するための脚本演出だったのではと思いました。

2.それでもまた立ち上がったのはタケトシの「あきらめるな」

倒れてしまったコトー先生にようやく近づいて、まるで「立つんだジョー」的に「あきらめるな」と声をかけたのが、足を負傷し漁師をあきらめなければならないかもしれないという境地に立たされていたタケトシでした。

「あきらめるな」とコトー先生に声をかけながら、そこにはダブルミーニングで「自分自身にあきらめるなと言っている」意味もあったのだと思います。

その後タケトシは、コトー先生が再び立ち上がりあきらめない姿を見て、そして息子自身が変わるのを見て「漁師をあきらめない」と思い立ったのではないでしょうか。

3.タケトシの「あきらめるな」を聞いて立ち上がったもう一人

タケトシの「あきらめるな」を聞いて立ち上がった人がもう一人いました。それは奨学金を打ち切られ医学部をやめてしまった息子・タケヒロです。

タケヒロは「医者ではない自分は人を助けられない」と思っていましたが、それをコトー先生に「そう思ってるなら医者にならなくてよかったよ」と言われたことで、なにか心にひっかかった状態だったと思います。

父親(タケトシ)がコトー先生に「あきらめるな」と声をかけた時に、タケヒロはとっさに、患者の命をあきらめてしまった判斗先生の代わりに、心臓マッサージを再開させます。

タケヒロはここで、コトー先生と父親から

・医療従事者ではない人でも人を助けられる、救える
・「あきらめない」という精神

という2つを学んだわけです。その「あきらめない」精神で続けた心臓マッサージで患者の命は繋がりました。

それまでのタケヒロは、台風でもどこでも幼馴染のクニちゃんに声をかけてもらわないと人助けに動けていない状態でしたが、その後は自らシゲさんを支えるなど動けるように。

4.「あきらめるな」のリレーを見て「大事なことを学んだ」もう一人

ここでもう一人学ぶ人がいました。それは大病院の御曹司である判斗先生です。

判斗先生の言うことはとても合理的で、都会に住む人間にとってはごく当然の価値観でした。カオスになる病院で「コトー先生トリアージを!」も、「この医療が成り立っていたのはたまたまコトー先生みたいな人がいたから」も、視聴者は「ごもっとも!」と思った人が大半だったと思います。

判斗先生の発言は「過重労働を強いられている医師」、そして「病人でもあるコトー先生」を思っての発言でもあります。

しかし、それが成立しないのが、島の医療です。判斗先生はカオスになってとうとう倒れてしまったコトー先生を見て泣きながら「現実」を訴えましたが、ここから彼は「島の現実」を見せられます。

それがここからはじまる「あきらめない」のリレーです。

あきらめないコトー先生があきらめそうになった

引き継ぐもあきらめる判斗先生

倒れたコトー先生に「あきらめるな」と声をかけるタケトシ

医師の代わりに患者の心臓をマッサージを再開し「命をあきらめない」タケヒロ

再び動き出す心臓

あきらめそうになったコトー先生が再び立ち上がり心臓の手術を行う

もう一人の命も助かる


都会にはない、島の「あきらめないリレー」

そのすごさを体感した判斗先生は深々とコトー先生の背中に頭を下げました。

都会では「無理をさせない」がスタンダードになりつつあります。判斗先生の価値観はごもっともです。

しかし、島でそれは通用しないのが現実です。システムをつくりマニュアル化したところで、島ではそれが通用しないのです。判斗先生は、現実をつきつけたようで、島の現実を突きつけられました。

「どの命もあきらめない」精神と「誰かがあきらめそうになったら声をかけあう」というコミュニティが、この島の医療を支えているのだと気づいたのではないでしょうか。

若者ふたりが継承した「コトー先生の意志」

これをきっかけに、二人の若者は学び、一人は2ヵ月だったのを1年以上に延長して島の医療を守り、もう一人は「さらに命をあきらめないために」医師になるべく再び医学部に入り直すことになりました。

私の予想では、判斗先生は帰ってきたコトー先生の体調が落ち着くまで島に残り、のちに都会に戻り大病院を継ぐことになるでしょう。そして、タケヒロは東京で今度こそ医師になり、数年後島に戻ってきてコトー先生を継ぐのではないでしょうか。

要するに、彼らはコトー先生の背中を見てその意志をここで「継承」したのです。その継承のバトンをしっかりとみせるために、病室カオスと先生が倒れても誰もさわらない…というシーンだったのではないでしょうか。

二人の医師が未来を担っていくスピンオフがみたいですね~フジテレビさん…判斗先生だけでもなんとかなりませんか。なみちゃんとの関係も気になりすぎます…。


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