アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラvsジョシュ・バーネット(1回目)


PRIDE 無差別級グランプリ 2006 準決勝 アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラvsジョシュ・バーネット(2006年9月10日@さいたまスーパーアリーナ)

 現在41歳。これが俗に言う思い出消費というものなのか、近頃は昔好きだったものばかりに手が伸びる。Spotifyで90年代のダブテクノやドラムンベースを聴き漁り、FANZAで宇宙企画時代の金沢文子の作品を一気観するなど、ネットサービス様様の日々である。

 そんな中でも先の自粛期間を大いに彩ってくれたのが、動画サイトに上がっている過去の格闘技のビデオであった。UFC1に始まりVTJ'95、K-1、PRIDEと時代を下ってきて最後に辿り着いたのが、PRIDE末期の2006年に行われたこのノゲイラとジョシュの初戦だ。同日に行われたミルコvsジョシュ戦に比べてあまり印象に残っていなかったのだが、総合格闘技の歴史や技術の知識がにわかレベルにでも身についた今見てみると抜群に面白い。

 戦前の講道館柔道から生まれたブラジリアン柔術の達人ノゲイラと、イギリスに源流を持ち我が国の新日本プロレス〜U系団体の礎となったキャッチレスリングを信奉するジョシュの一戦は、まさに世界の格闘技の歴史の最先端であった。また90年代後半、Uインターのエースだった高田延彦がヒクソン・グレイシーと戦うためだけに作ったPRIDEというリングで、10年に渡って繰り広げられたキャッチvs柔術の格闘輪廻の掉尾を飾るにふさわしい内容でもあった。

 そもそも八百長なしの〝真剣〟勝負では、打撃であれ寝技であれどちらかの技が決まった瞬間に決着がついてしまう。ゆえに試合は相手のいいところ、技術をいかに封じるかという戦略が重要となり、これが素人目には総合格闘技の分かりづらさの要因になっている。しかしこのノゲイラvsジョシュ戦に限っては、ブラジリアン柔術とキャッチレスリングの技術が次々と披露され、プロレス的に言うと〝スイング〟する珍しい一戦になっている。

 試合冒頭から見てみよう。立ち上がりからしばらくはスタンドの攻防が続く。この頃には既にノゲイラも相当ボクシングの訓練を積んでいたはずだが、ストライカー優位のUFCで史上最年少王者になったジョシュの方がやはり上手であった。03:20にジョシュの左フックが入ると、ノゲイラは腰から沈む(以後、時間を表記する場合は上の動画の表示に従う)。

 上からパウンドを落とそうとするジョシュに対して、ノゲイラはすぐさまオープンガードで対応する。相手の腰に足を入れて体を突き放すこのオープンガードは、ブラジリアン柔術の中でも基本的な技術の一つであり、パウンド対策にはもっとも有効である。2003年に行われたノゲイラとエメリヤーエンコ・ヒョードルの初戦では、ノゲイラはこのオープンガードをこじ開けられパウンドをもらって敗戦している。あれは完全にヒョードルの準備のたまものだったが、今回のジョシュ戦ではオープンガードがかなりうまく機能している。

 やがて態勢が逆転し、05:30にはノゲイラがサイドポジションを取るが、ジョシュは片足を組んでマウントを取らせない。ジョシュは07:00になってやっと立ち上がると、そのままフロント・スリーパーに移行。当時格闘系プロレスラーの多くがこの技をプロレスのリングでも披露し、格闘路線を印象づけていた見ごたえのある技だ。観客も思わず手を叩いて興奮している姿が動画でも確認できる。

 07:56には再びグラウンドへもつれ込み、お互いに足関節の取り合い。ノゲイラがレスリングのアンクルホールドのような形でジョシュの両足をロックすれば、ジョシュは旧UWFの象徴的な技でもあるアキレス腱固めを狙う。この時点で既に歴史に残るようなグラップリング合戦をふたりは展開している。

 その後もノゲイラの見事なパスガードからのマウント、腕十字、ジョシュの巨大な体躯を生かしたエスケープと次々と攻守が逆転し、1R10分が終了。

 2Rはノゲイラが打撃に付き合わず早々に片足タックル。これはジョシュの重い腰で潰され、再びオープンガードの態勢になるが、12:50にジョシュのかかとを掴んで見事なスイープ(相手と上下逆転すること)を決める。この創意に満ちた技もまた柔術の体系に含まれる基本的なテクニックである。

 13:45にノゲイラにパスガードを許したジョシュは、すぐさま天才的としか思えないタイミングでブリッジによって返す。普通はこんなに見事に一発では返せず、〝エビ〟と呼ばれる動作を何度か打って少しずつ相手の下から逃げるのが常道だが、ノゲイラ相手にエビなど通用するはずはない。この時ブリッジが成功していなければジョシュはすぐにも極められていただろう。その後も流れるように上下が入れ替わり、たった5分のラウンドとは思えない攻防が続く。

 そして16:15、ジョシュがキャッチレスリングならではの単純にして美しい膝十字を決めかけたところで遂にゴング。判定は2-1でジョシュの辛勝。

 その後ジョシュはグランプリ決勝戦としてミルコ・クロコップとの3度目の対戦に臨むが、ミルコのパウンドで目のあたりを痛めて1Rタップアウト負けを喫す。不幸にも肩を脱臼してタップアウトしたミルコとの初戦を思い出す展開だった。

 これでK-1、PRIDE時代を通じて初のタイトルを得たミルコは、この試合を最後にUFCに移籍する。ノゲイラも年末の大会でジョシュと再戦して判定勝利を収めた後、UFCに移籍。さらにPRIDEのヘビー級王座を保持していたヒョードルもカナダの新興格闘団体に流出。PRIDEは2007年中に消滅し、日本の格闘黄金期は一つの区切りを迎えたのだった。


(参考)

増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
『ゴング格闘技ベストセレクション 1986-2017』/対談 カール・ゴッチ×ジョシュ・バーネット
ブラジリアン柔術wiki https://seesaawiki.jp/brazilian_jiu-jitsu/
『Number』645号/アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ「ボクシングがあるから極められるんだ」 https://number.bunshun.jp/articles/-/12490


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