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"左利きのエレン"に影響を受けたこと~10年間会社員だった僕がフリーランスになった話(前編)~

【かんたんに自己紹介】

noteをご覧いただき、どうもありがとうございます。人事支援業を営む「Verflos」(ウェルフロス、と読みます)で代表をやっているKJといいます。数年前ヒップホップな同僚からそう呼ばれて以来どこにいっても呼ばれるので、気にいってそのまま使っています。会社員11年目にして独立した経緯とこれからの決意表明を込めてnoteを書き始めました。初心を忘れないようにとこの記事を書き始めたら、割とボリュームがあって前編後編に分かれてしまいました。(コナンかよ)

【これまでのキャリア】

社会人になって11年目。丸10年会社員として生きてきて、ちょこちょこ副業的なことをしたことはあったのですが、基本はピッカピカのリーマンです。どんなキャリアなのか気になる人は是非LinkedInを見にきて、つながり申請をしてください!(サイレント申請大歓迎)

【自分が天才でないということを知る】

僕は普段から息を吸うように名言を引用するくらいマンガやらゲームやらが好きです。価値観や生き方そのものをそうした作品に左右された方もいると思います。"働く"ということに関してはこの作品ほど考えさせられたものはないと思ってます。

サムネにも出ている "天才になれなかった全ての人へ" というフレーズに僕は大きな影響を受けました。

20代前半の頃は今振り返っても笑ってしまうくらい根拠の無い自信があって、本当に何でもできると思ってました。

ところが会社員として働くうちに、「意味不明なくらいに頭が良い先輩」や文字通り「死にもの狂いで努力する同僚」なんかを見て、「自分は何にもできないし、何者にもなれない」と絶望した回数はもはやカウント不能です。

そしてこの言葉に出会って、「自分は天才ではない」と認識するようになりました。やがて僕は起業だの独立だのは自分にとって縁のないものだと決めつけるようになり、会社員として一生やっていくもんだと思い込むようになりました。

【会社員で生きていくことへの疑問と限界】

そんな僕が何で独立してやっていくことになったかというと理由は3つあります。コンサルっぽく3つって言いたかった。

1、自分が好きでやりたいことと会社員としての出世がリンクしない

2、直近の転職でミスマッチが起きた

3、自分を助けてくれる人が思った以上に多くて、やれると思った

ひとつずつ書いていきます。

僕は10年ITだの採用だのエンジニアだの人事だのに色々な立場に関わってきました。たまたま所属した会社の知名度が高かかったり、職場環境に恵まれたこともあって、良い仕事をたくさんさせてもらえたし、会社員時代の年収もまぁまぁもらっていた方だと思います。

ただキャリアの晩年は「これでいいのか?」と思うことが増えました。というのも僕がやってきて、これからもやっていくHRという仕事は現場とマネジメントの両方に分かれるのですが、(いや、たいていの仕事はそうか。)僕は現場の仕事が大好きで、Hiring Mgrと採用計画について話したり、チームメートと競うようにスカウトを送ったり、社員のリテンションを高める制度を考えたり、経営と社員のリエゾンになったりと。青島刑事ばりに現場の仕事が大好きな訳なんですが、会社という存在は「それ」を続けるだけでは評価し続けてくれないし、どれだけたくさんの成果を残したとしても年収はすぐに頭打ちになります。(ただし重宝はされる)今より稼ぎたければ、管理職になって出世して、マネジメントして・・・という選択肢しかないのが会社員人事の現状かなと思います。

僕はこれからも現場の仕事を続けたい、でも勤勉な労働者としてやったらやった分だけ稼ぎたいし、アウトプットの量や質が高まるにつれて評価されたいと考えるようになっていきました。

そんな考えがちらつく中、転職でミスマッチを経験しました。今まで何百何千と他人の就職・転職を見てきて、「失敗しない方法論」みたいなものは熟知しているはずだったのに、自分のことになると見えなくなるもんだと痛感しました。意気揚々と乗り込んだ転職先でつまずいたのがきっかけで会社員としてキャリアを歩んでいくことへの疑問が強くなっていきました。

【そして独立へ】

こうしたキャリアに対する心境の変化や大きなイベントがあって、独立・起業を本気で考え始めるようになるのですが、「新しいことに挑戦しようとする自分」と「天才ではないと"ひよってる"自分」とが葛藤することになります。マイキーに怒られてしまいそうな状態ですね。

悩みました。独立・起業した人達はみんなこの境地を越えたのか。全員超越者じゃないかとすら思った。最終的には悩んだあげく10年の社会人生活の間に出会った先輩や元同僚、取引先の人達に後押ししてもらう形になりました。経営者として、フリーランスとして活躍する人達の貴重なアドバイスとサポート、そして「KJなら大丈夫」の言葉のおかげで僕は会社員の看板を降ろして生きていく覚悟ができたのです。このチャプターで書けることはもっと多いんですが、太宰治も驚く文量になるため、詳細はまた後日。

"左利きのエレン"に影響を受けたこと~ 10年間会社員だった僕がフリーランスになった話(後編)に続く


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