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連想ゲーム

こんなんあった。早朝。

どんな物語の結果、こうなったのだろう。
ここから物語を紡ぐと、主人公のペルソナは?

マーケティングやってると、つい、そういう視点で見てしまう。

マンション玄関前だから、昨夜遅く酔っ払って帰宅、つい落としてしまったのかもしれない。誰? 男性かも。何の仕事してる? 年齢は?

ストーリーを想像するのが楽しい。

落ちたスカーフから何を連想するか。

映画『アラビアのロレンス』。

1962年の映画だが未見だった。
ドラマ『VIVANT』を思い出す砂漠、砂漠、砂漠。

なにしろビートルズデビューの年の映画、予告編も現代とは違う。コンパクトじゃない。現代は予告編だけを制作するプロフェッショナルがいる。

冒頭、真っ黒な画面、音楽しか流れない。当時の大作映画では普通だったらしいが早送りした(笑)

気づく力について、新しい発見した。

イギリス人ロレンスが放り込まれた砂漠の世界は、まったく土地勘働かない。方向探るコンパスあるものの、そこにいる部族たちの行動はまるでわからん。

「気づく」というのは、もともと自分の中にある何かによる磁力で気づかされることが多いのだが、ロレンスのように、「砂漠で生きる」ためのものがゼロのとき、気づけるのか。

気づけないと、どこから攻撃されるやわからない。また、攻撃されないまでも、昼夜の激しい温度差によって凍え死ぬかもしれない。

つまり、「先の予想がまったくつかない」環境の中で気づく力はどうやって生まれるのか。

連なり。

連想力とでも呼ぶものか。

砂漠で暮らす部族たちと違って、視力や聴力が発達していない。だから見えない、聞こえない。

ならば自分から音を出す。

ガイドを失ったロレンスは、ひとり、ラクダに乗って旅するが、正直、アテがあるとは言えない。やけっぱちになったのか、歌いだす。乾燥しきった岩山に声が跳ね、大音響でこだまする。面白くなってさらに声をはりあげる・・・それに気づいた味方のイギリス軍兵士に発見される。

ロレンス、徹底的なアウェイから、わずかなホームに接触する瞬間。それは本当に瞬間であり、すぐにロレンスは自分からドアを閉ざす。

この映画、ロレンスがどこにいてもアウェイだということを描いているのではないか?

映画冒頭、ロレンスがイギリスでオートバイに乗り、速度上げ、結果、事故で亡くなってしまう衝撃的なシーンで幕を開ける。

アウェイ(砂漠)からホーム(イギリス)に帰っても、場所がないことの予兆か。

砂漠のアラビア。ロレンスにとってはアウェイ。

無事イギリスに戻った。しかしながら、そこでも、誰もロレンスを理解する人はいなかった。アウェイ。

ロレンスの葬儀シーンでも、それは描かれる。映画冒頭だから伏線だね。

この映画は、「世界は自分を理解してくれない」というロレンスの孤独がテーマなのかもしれない。

孤独な都市生活している女性二人がたまたま「料理を作る」「それを食べる」役割となるドラマ。

主演の一人、比嘉愛未さん。いつもシャキッとしたイメージなのが、ここではダラっとした姿も見せる。基本、舞台は自宅だから、家の「どーでも服」。これが魅力的だ。いっぺんにファンになった。

料理も連想だなあと思う。

そして、気づいた。

「食べる」というのはセクシー。

内田百閒先生が「何にせよ、食べるというのはいやらしい」と言っておられて、たぶん先生は別の意味だと思うが、セクシーだ。

女性二人なんだけど、セクシーに感じる。

これ、ドラマ『きのう何食べた?』でも感じたことで、こっちは男性二人、食べるシーンが必ずある。なんか、セクシーなのだ。

道に落ちたスカーフからアラビアのロレンス、そして料理、最後はセクシーへと発想が連なりました。連想ゲーム、楽しいね。

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