現実世界の旅 第1話 肉体チュートリアル

 『これは音声ではなく、ナノマシンを介して脳へ直接送信している信号です。』

 そのアナウンスによって私は意識を取り戻した。視界は何もない。

 『これより、チュートリアルを開始します。』
 通知するような小さいバイブレーションを体が感じた。何度か振動が繰り返されるうちに意識が鮮明になっていく。

 『目を開き、体を起こしてください。』
 目蓋をゆっくりと開けた。やり方は元の世界と同じようにすれば良いようである。するとひどく刺激的な感覚が目を襲う。
 以前、「眩しさ」という言葉の本来の意味を聞いたことがある。「眩しい」は人や物の価値を表すためのものではなかった。それはただの比喩表現であり、大昔の人類は実際に光を眼球に取り込んだ際に「眩しさ」を感じていた。
 私が生まれた世界においても光の物理は再現されているが、あくまで仮想の視覚の処理でしかない。そのうえ、痛みや苦しみのような生活にとって不便である刺激にはリミッターが掛かっているため、私は今までの人生において目を刺すような「眩しさ」を痛感したことがなかった。
 しかし、いま私は眩しさを感じている。顔を手で覆ってしまうくらいの光の氾濫を、現実に存在する自分の網膜が直接感じとっている。眩しさが生身の肉体を持ったのだという実感を強く抱かせる。

 次第に目が光に慣れていった。
 目蓋を完全に開くと、正面に白い壁が見える。

 『視覚の反応を確認。体を起こしてください。』
 再びアナウンスが脳に届く。『起こしてください』とはどういうことか。
 とりあえず体のどこかを動かそうとしているうちにあることに気がついた。私は寝そべっているのである。直立せずに横になっている状態だということが微妙な平衡感覚によって分かる。つまり、目の前の白い壁は天井なのだ。
 私はおもむろに体を起こした。手や肘を付いて上半身を持ち上げ、首を動かして周囲を確認する。そうして自分が古風な部屋に置かれたベッドの上にいるということが分かった。

 『肉体の動作を確認。進行。』

 もう上半身は自由に動かせる気がする。私は首を動かし、体を捻り、部屋の中を観察した。
 部屋には出窓と大きな掃き出し窓がある。どちらもカーテンが掛かっているが、どうやらここは東南の角部屋らしく、カーテン越しに光が溢れていて部屋全体が明るい。
 ベッドのそばにはメープルかヒノキの淡い色をした木製のミニテーブルがある。そのテーブルの上に、メニューのような一片の紙と、長方形のレトロな電子機器が置かれている。紙に書かれた「このアイテムを手に取って下さい」の一文を読んで、私はその電子機器を手に取り暫く眺めた。ひっくり返すと裏には林檎のロゴが刻印されている。戦前のデバイスのレプリカらしい。

 『文字認識を確認。進行。そのアイテムは2017年モデルの情報端末を再現したものです。』
 ナノマシンが質問を先読みして対応してくれるとは頼もしい。顧客の方はナノマシンからのメッセージやアトラクション内のテキストを読んで理解し、能動的に肉体の操作方法を習得していく。肉体を持った実感と先に進みたい衝動のバランスが快いチュートリアルだ。

 穏やかな空間の中、急に何かの音声が鳴り響いた。すかさず私はその音の方向に首を動かす。入口のドア付近から鳴っているようだ。
 一、二秒、ドアを眺めていると音は突然止まった。

 『聴覚の反応を確認。進行。』

 考えてみれば、目覚めた時から耳は聴こえている。部屋は全くの無音ではなく、わずかな空気的ノイズがあるし、体を動かした際には衣擦れの音もしていたはずだ。
 それだからか、音が鳴った瞬間に“音が鳴ったこと”が分かった。初めて光を見たときの刺激とは違って、耳が音声を受け入れる準備をしていたのかもしれない。
 そしてこれらの音は、物理シミュレートされた音源ではなく、この場所で実際に空気が振動して生まれているリアリティがある。

 再び静かな空間に戻った部屋のベッドの上で、私は何度か手を叩いて音を楽しんだ。

 アナウンスは続く。
 『次の文章を声に出して読んでください。』
 頭の中に文章のイメージが展開された。私はその文章を朗読しようと声を発し始める。元の世界と同じように喋るだけで声が出た。
 「あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。」

 『声帯の動作を確認。進行。』
 私は生まれて初めて現実世界で声を発した。この世界での自分の声は弱々しく抑揚のないものだった。

 『最初のうちは上手く喋れないかもしれませんが、きっと慣れていくはずです。』

 チュートリアルの進行とともに、ナノマシンの淡々としたアナウンスが徐々に人間味を帯びてくる。この調子で対話的になっていくのだろうか。
 
 『ベッドから起き上がって歩いてみてください。』
 もう体を動かすことに大きな制約を感じなくなった私は、元の世界で立ち上がるように自然に立ってみせた。
 視点が変わると、この部屋の空間を如実に感じる。
 自分の目より十センチほど高いところに掃き出し窓の上枠があり、天井はそれより更に五十センチは高い。広さは十平方(へいほう)メートル程度の四角形で、さも古民家といった具合にレトロな家具が配置されている。
 ミニテーブルから離れた位置に大きめの机がある。水の入ったコップが置いてあるところをみると、生活感の再現にも力を入れているらしい。
 机に向かって一歩ずつ歩いてみる。歩行の振動やフローリングを踏むときの繊細な木のたゆみを足全体で受けた。

 『机の上の水を飲んでください。』
 どうやらチュートリアル用の水だったようだ。私はおもむろに水の入ったコップを持ち上げて少しばかり観察した。
 ただの水だ。しかし現実の水である。

 ふいに、水に関する知識を想起してしまう。生命にとっては液体の中で水が最もニュートラルな存在であり、水が人類の生活と発展に寄与したこと。そしてその水が地球上の全ての動物を生かしているという事実を思い返す。
 人類がコップの水を容易く掌に納めたつもりでも、その人類の命は“水の掌”の上で転がされているのである。
 水を眺めていると、そんな水の神秘性に吸い込まれそうになる。
 
 私はコップに口をつけ、水を飲んだ。
 ひと口だけ飲むつもりが、喉が何度も水を欲した。もしかしたらこの体は目覚めるまでしばらく何も飲んでいなかったのかもしれない。
 しかしそれだけでなく、水そのものが持つ価値を私は求めている気がしている。その価値が、元の世界では感じたことのないような新しい幸福感を生んでいる。「水を飲んでいる」という客観的な事実の中に混ざったそのバイアスがゴクゴクと音を立てて私に水を飲ませた。

 私は生まれて初めて、水を飲んだ。
 飲み込んだ水が次々と食道を通って胃に流れ落ちていき、その冷たさが体の内側からゆっくりと全身に伝わっていくのを感じている。
 最後の一口を飲み終えた私は、空になったコップをそっと机の上に戻した。

 タイミングを見計らったように、アナウンスが再開する。
 『これで生存に必要な最低限の行動は習得することができました。この部屋を出た後はオープンなマップを体験をしていただきます。』
 なるほど、ステップ型のチュートリアルはこの部屋で終わりのようだ。

 『ここまで案内した私はナビゲーターのRené(ルネ)というものです。気軽に「ルネ」と呼んでくださいね。』
 ここに来てナノマシンの住人が人間性を現した。実際はただのAIのキャラクターに過ぎないのだが、それでも何か挨拶めいた受け答えをこちらからもしようと思った。
 「ルネ……」
 使い慣れていない喉からは一言だけ絞り出すのがやっとだった。

 ルネは特に気に留めることなく説明を続ける。
 『この空間は、21世紀前半の住宅を再現した当社の施設です。備品はお客様が自由に使用することができるのでご安心ください。』
 このアトラクションには様々なテーマのエリアがあるという。その中で私は21世紀の世界観を選択してここへやってきた。21世紀に対する懐古主義というかロマンというか、そんなエゴイスティックな期待を満たすものがこの場所にはあると思う。

 いよいよ私は部屋のドアの前に立ってドアノブを掴んだ。ほんのりと冷たい温度を手で感じながら、ゆっくりとドアノブを回して引く。
 果たして、このドアの先にはロマンやエモーショナルを期待できる世界があるのだろうか。元の世界では体験できないような現実の世界を知ることができるのだろうか。

 私は、外の空間に歩き出した。
 


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