記憶:リメンブランス ― 現代写真・映像の表現から@東京都写真美術館
4月中旬、東京都写真美術館を訪れた。
2階展示室で開催中の企画展「記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から」を観て印象に残った作品についての感想。
篠山紀信(1940~2024年)
《誕生日》2歳から13歳までの12点のイメージ 1976年
写真館で毎年誕生日に撮影されたという記念写真。
見た目の成長はもちろんはっきりとわかるけれど、表情の変化が面白い。
最初は置かれた状況が良くわからずちょっとぼんやりしている感じで、2~3年経つと活発で明るい表情、学校に入ると少しずつ撮られることを意識し始めた顔になっていく。
成長に伴って徐々に内面が確立していく様が見えて面白いと思った。
〈家〉 1972~75年
北海道から沖縄まで日本全国で約80軒の家を撮影した作品。そのうち22点が展示されていた。
年季の入った木造家屋や苔むした茅葺屋根の家屋。
土間の隅をクローズアップした写真では、石の土台の上に木造の基礎が組まれていることが分かる。
室内は障子が破れ、壁の塗装は積年のホコリで汚れ、鴨居の上にかけられたまま忘れ去られている絵画。
壁にはカレンダーや何かわからないけれどとにかく色々なものが貼られている。
壁にはめ込まれたピカピカで豪華な仏壇と柱の傾いた床の間が並んでいる。
傷んでよれよれになった畳。
こうやって書き連ねると廃墟の描写みたいで、室内には誰もいない作品がほとんどだけれど、そこには確かに人の気配を感じた。
撮影当時にそこに居住していた人、というよりも何代も前からその家で生活していた人たちの気配が家の中に降り積もっているような感じ。
今回展示されている〈家〉のうち、唯一人間が写っている作品では、炬燵に入っているおばあさんが写っていた。
その姿を見て、おばあさんが家の時間と記憶そのものを象徴しているように思えて印象的だった。
米田知子(1965年~)
平穏な時間が流れる風景に見えていた場所が、作品のタイトルや解説を読んでその場所の歴史的な意味を知ることで、頭の中に色々な思考が湧きあがり、それがフィルターを作って作品の見え方を変えていく。
とても考えさせられる作品だった。
第二次世界大戦を軸とした〈Scene〉というシリーズの中では、中国・ハルピンで駅のフォームを撮影した作品が印象に残った。
中央付近に線路に降りた駅員が写っているだけで他に人影はない。
駅としては静かすぎる景色だけれど、タイトルを見て戦慄した。
歴史的な事件があった場所だとわかった瞬間、その静けさが不気味で奇妙な感じに変わって心がざわついた。
韓国と北朝鮮の軍事境界線を挟んだ非武装地帯(Korean Demilitarized Zone)に取材した〈DMZ〉というシリーズでは、境界線のこちらとあちらは同じ草木が生えている地続きの場所なのに、簡単には越えられない壁が存在しているという現実を目の当たりにした。
張り巡らされた鉄条網や金網の中で生きている草花や木々からは瑞々しい生命力を感じる。とても印象的な作品。
(未)完成の風景という作品も印象に残った。
顔の部分が風景に隠されている。
人の営みが感じられる風景の中で、そこに居る人間の属性は分からない。
意図を読み取ることは難しいけれど、心に残る作品だった。
マルヤ・ピリラ(1975年~)
〈インナー・ランドスケープス、トゥルク〉 2011年
屋外の風景をカメラ・オブスクラの原理で室内に取り込んで撮影した作品。
モデルはフィンランドの都市トゥルクに暮らす9名の高齢者
カメラ・オブスクラの仕組みとは・・
光が通る小さな穴をあけた真っ暗な部屋で、太陽の光が射し込むと反対側のかべに外の景色がさかさまに写しだされる。
年を重ねたモデルから滲み出る人間の深み。
その静かな存在感と暗い室内、そこに取り込まれた風景は明るく美しい。
まるでモデルの心象風景が映し出されているように見えて、幻想的な雰囲気がいいなと思った作品。
展覧会Data
「記憶:リメンブランス ― 現代写真・映像の表現から」
〈参加作家〉
篠山紀信 米田知子 グエン・チン・ティ 小田原のどか
村山悟郎 マルヤ・ピリラ Satoko Sai+Tomoko Kurahara
2024年3月1日(金)~6月9日(日)
東京都写真美術館
東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4548.html
[2024-006]
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