お守り

後輩たちの卒論発表会が終わると、研究室に一人で居る時間が長くなる。
就活と研究に追われる日々が続き、パソコンと試験管と自分の心に葛藤する日々が続くのである。
誰かと話すことも少なくなり、ラジオを聞いてツッコんで、心のお友達と話し合いをするといった、ザ・内向的な対話が多くなる。陰キャの完成だ。

ひとりぼっちに近い状態で、就活や研究が淡々と進んでいく。
その中で鮮明に思いだす思い出がチラチラと輝きだす。
「あの時はよかったな」
だなんてジジイめいたセリフをぼそっとつぶやくのだ。
そんな自分が嫌で仕方ない。

けれどその思い出は一生の宝物であり、お守りである。
これまでの人生で一瞬だった、あのひと時があったからこその自分なのだ。

そう思わせられる思い出も二月にはたくさんあった。

合同会社hataoriさんが開催されている、MOKUMOKUの最終発表会。
オードリーさんのオールナイトニッポン東京ドーム公演。
とある会社さんのインターンに、とある市議会議員立候補者の新春会。

過去から今に至るまでの想いや出来事、文化に歴史。それらの大切さを実感する日々だった。

焦燥感にかられるのは、過去を捨て、未来しか見えていないからだろうか。
予想がつかない将来に感情を預け、目まぐるしく動き回る社会情勢に振り回される。
それでは心も疲弊し、夢や希望を持つことができないだろう。

ただ一つその感情を救えるのは思い出しかない。
変えられなくて、自分が当事者として感じた物事は唯一無二のお守りになる。
そのお守りを肌身離さず持ち歩き、明日への道のりを歩いていかなければいけない。

「思い出」は振り返るものではなく手放してはいけないものである。
そのまま、思い出を握りしめ将来への夢や希望に想いを馳せるのだ。
振り返るのは、死に際の一瞬だけでいい。それほど思い出というものは一瞬なのだから。

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