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私か俺かは不明確

2020年が始まってすぐの1月3日、僕は悲しんだ。
2年も一緒に暮らしていたのに
なんの前触れもなく、家から出ていってしまった
地球がぐるっと一回転するような感覚、何がなんだかわからなかった。ええじゃないかに初めて乗ったときのような気分。
意味が、 意味が分からなかった。

最近は一緒にいれることも少なくなってしまっていたけど、それでも僕はこれからも一緒にいたいと思ってた。

初めて会ったのは2年前、
大学の授業終わりに立ち寄ったブックオフだった。
本に夢中になっていた僕は後ろからトントンと肩をたたかれ、振り向くとそこには大きなゴリラ🦍が小さなゴリラ(おそらく子ども、断定はできないけど)と立っていた。
その大きなゴリラはゴホゴホと話しかけてきて、小さなゴリラを置いていった。

一瞬頭は???になったが、当時は経済的影響から子のゴリラを手放す親ゴリラが多く、そう珍しいことではなかった。
しかしどうしたものか、僕は一人暮らしをしていたが2人が暮らす分のスペースは無かった。
それでも小さなゴリラ(以下チイゴー)は炊事、洗濯、風呂掃除など手伝ってくれて、たまに近くのスーパーで2人分のエクレアを買ってきてくれたり、休みの日には車の洗車を2人でしたり、なんだかんだ楽しい日になっていた。
そんな日はあっという間に1年、2年と過ぎた。

そして先日の1月3日の朝、急に荷物をまとめ始めたチイゴーを見て、どうしたんだ?と聞いたら「ゴホゴホ」と一言だけ言い残し家をあとにしてしまった。
チイゴーの言葉はもちろん理解できるわけではない、ただその日のゴホはいつもと違うゴホだった。
チイゴーは右手で親ゴリラ(もう一度言う断定はできない)の写真を握りしめ、ラインのトプ画も幼い頃の家族の写真だった。
僕は悟った、おそらく親ゴリラ(たぶん親)のもとへ行ったんだと、もうチイゴーはここには戻ってこない、そう思った瞬間に僕は涙が止まらなかった。

この2年間でチイゴーの性格はだいぶ理解したつもり、けれども
チイゴーの言うゴホが「私なのか俺なのか」ということは未だに僕は分かっていない。


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