東京で考え中

12月に入ってしばらく経つ。
noteもポツポツ書き出してみては、筆が止まったり、あっちこっち行って、無駄に長いように思ったりと、後回しにしてしまう。

それにしても12月に入った途端、気温もグッと下がり、空気もピリッとして
変わったような気がする。寒さなのか師走なのか、慌ただしいような空気感が急激に今年が終わるぞ!と責め立てられているような気がしている。


さて、12月3日。今年も無事に歳を重ねた。

この2,3年はLINEやTwitterで祝ってくれる人がいる。ありがたいことだ。

とは言え、30代の頃の俺には、こうやって祝ってもらえる未来があるとは想像できなかった。

そもそも30歳の節目は入院してたから病院で迎えた。そこから不遇な30代は始まっていたのかもしれない。

職場によっては仕事で1日潰れた年もあったし、前に勤めてた会社は、フレンドリーやフランクさを売りにしてGoogleカレンダーに誕生日を載せる割に、祝われることもないから、あれは何の為だったのか今でも疑問だ。

誕生日だってことをわかってる女友達(既婚者)が当日開催のライブに誘ってくれて、5人くらいで一緒に行ったのだが、特に触れられることもなく、そのまま帰路についた。
一緒に来てた旦那さんは、その流れにビックリして「それはあんまりじゃない?」と帰りの電車で言ってたらしいが、それ、別れる前に言えばよかったじゃない?
当の本人は、笑える誕生日エピソードをプレゼントしてもらったな、くらいのつもりだったが。

恋人との付き合いも短命なものが多く、誕生日時期を一緒に過ごせることもかなり稀なので、そういった浮つくようなエピソードもほとんど無い。

あぁ、でも元カノに、と思ったけど、あれも付き合う前に片想いしてた20代か、。うーん、そうですか。そうですね。プレゼントしてくれたカーディガン好きだったな。


それはさておいて、何でか周囲に同じ誕生日の人が近くにいることが多いので、俺自身の誕生日には陽が当たらない事がほとんどである。

幼少期から思春期くらいまで、同級生が同日誕生日でお祝いするときは出席番号順でそいつが先だったからオマケ感が否めなかったし、今も今で、会社の社長が同日誕生日。
いつも誰かしらが優先されて祝われている。

いつからか、自分の誕生日という特別感よりも、誰かが祝われる日だったり、誰かを祝う日、という感覚が強い。
俺と言う人間形成にそこそこ影響があったのかもしれない。プラスの面で言えば、自分のこともあってか、人のお祝い事はできるだけ祝ってあげたいし、マイナスの面で言えば、卑屈になった所か。

若いうちは「俺が主役になる日なのに!」という気持ちも強かったと思うけれど、自分という人間の人徳天井が小学三年生の平均身長よりも低かろう事に気づいたあたりから、さすがにそんな大それた気持ちにはなれない。

昔は「俺が自分の人生の主役だ」なんて思っていたが、もうさすがにここまで来るとその座に座ることが難しい事を自覚するのだ。
「みんなの憧れになりたい!」なんて身分不相応な希望なんて持ってない。ほっといてくれればいいのに、生活はそうさせてくれない。
いつまでも人生はままならず、簡単になる気配もない。

そんな人間に、お祝いの言葉をくれる。それだけで本当に十分である。

自分の誕生日に対して、こんなテンションの人間(さすがにこんな感じであることは言えないが)に、喜んでもらおうとあれこれ考えてくれる彼女にも申し訳なさが70%くらいだけれども、心底ありがたい。


年齢については40歳を超えた頃からだろうか。
それまでは、自分1人さえ生かしていければいいんだから、こんな楽なことはないよな、それでいいやと思っていたけれども、40過ぎてから、段々1人でいることに飽きてきていた。

30代があまりにも1人だったからだろうか。
スケジュール帳は仕事と1人で行くライブのことばかり。プライベートで人に会うなんて年に数回レベルだ。色分けのルールが虚しくなるくらいに。
親しい人はみんな遠くだし、特別な人と呼べる人も出来るはずもない。かといって新しい出会いはストレスを感じて億劫だ。
自分1人でやりくりしてきた楽しいことや刺激にも慣れてきてしまって、予定にないハプニング的な要素が欲しくなってきていたのもあったかもしれない。
これも田舎に帰ろうと思った理由のひとつだ。

タイミング的にコロナのせいって感じもするけれど、きっとそうじゃないと思う。

東京の恋愛市場で行われる競り合いや、SNSで繰り広げられる盛り写真と嘘年収のマウントの取り合いに、嫌気がした人間が、ここにいても(どこにいてもだけど)恋人なんて出来るわけないと思っていた。

それが、40代に入って、背中にのっぺりと乗っかっていた色々なわだかまりを一旦おろして、違う場所に飛び込んでみたら、こうやって恋人や友人(一方的にだが)呼べる人達から祝われて、何かしらのプレゼントをもらえる生活になった。
奇跡だよなぁ、としみじみ思う。

親のことも考えると、さすがに東京にこれ以上の長居は難しいと思いつつも、ここ数年でできた関係値を無くしてしまうのは寂しい。
後ろ髪引かれがちな人間だから、より一層。


これから、生活に大きな変化が起こるのは目に見えている。
来年の俺はどんな風に過ごしているんだろうか。ステージが変わり過ぎて、どうなるのか皆目見当がつかない。

それはずっとでしょ。