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左手による華麗な箸さばき(右利き)

ある時「左手で箸を扱えるようになりたい!」という微妙な願望が、右利き人間である私の中に突如芽生えた。

おそらく高校生の頃だったような気がする。事の発端は「左手で箸を使うと頭が良くなる」という迷信らしきものをネットで発見してしまったからだ。

賢くなりたかった私は、素直にそれに従った。

そんなこんなで、それから時々気が向いたときに、左手で箸を持って飯を喰らうチャレンジに勤しんでいた。

最初の頃は、食材を己の口に運んでやることができず、というかそもそも掴み上げることすらできず、なんとも言えないもどかしさを常々感じていた。

己の体の一部であるはずなのに、全く言うことを聞こうとしない左手。そして、無情にも箸から落下せざるを得ない罪無き食材達。

この悲しき情景を前にしても、私は左手をプルプルさせてやることしかできなかったのである。


それからいくらか月日が経ち、私は高校生から大学生へと昇進。「左手で箸を扱えるようになりたい!」といういつかの淡い願望は完全に消滅し、普通に右手で優雅に飯を喰らっていた。

そんな時に、ふと思い出した。

「左手、箸…」

忘れかけていたちゃちな野望が、今再び目をかっぴらいたのである。

私はそっと、茶碗に添えられている左手に目を移した。左手は影を潜めるように茶碗を静かに支えていた。

だが、私には分かった。己の体の一部だから分かるのだ。

こいつ(左手)はまだ、箸を持つことを諦めてなどいないのだ、と。むしろ、その機会を茶碗の影から虎視眈々こしたんたんと狙っていたのだろう。

今がその時なのかもしれない。いや、そうに違いない。私はそう確信した。

茶碗に添えられていた左手をそっと離し、右手から左手へと箸を譲渡する。左手は箸を受け取った。力強く、確かな志をもって、箸を握った。

右手を茶碗に添えて左手で箸を扱い、そっと米を持ち上げる。すると、なんということだろう。米がしかと私の口元まで運ばれてくるではないか。

空白の期間を経て、謎に左手の箸持ち技術が上昇に上昇を重ねていたのである。もはや、右手よりも綺麗に箸を持っている気がする。

一体こやつ(左手)はどこで経験値を得てきたというのだろうか。

そんな謎を残しながらも、私は左手で箸を扱うスキルを気づかぬ間に習得していたのである。


結果として、左手でスマートに箸を扱えるようにはなったものの、果たして賢くなったのかどうなのかはわからない。

大人になった、という点においてはかつてよりも賢くなったかもしれない。だが、それと左手の箸さばきは別問題である。

おそらく迷信なのであろう。どうせそうなのであろう。人生なんてそんなもんである。

だが、迷信であろうとなかろうと、素直に挑戦してみた過去の律儀な自分に大きな拍手を送りたい。

グッジョブ。

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