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初めて鼻毛を切ったのさ

皆様は今までの人生で鼻毛を切ったことがあるだろうか。

日常的に切って身なりを整えている人もいれば、そもそも鼻毛を切るという概念すら考えたことがないという人もいるだろう。

ちなみに、私はずっと後者であった。鼻毛を切るという概念が己の中に存在していなかったのである。私にとって鼻毛とは、未知の領域であったのだ。


そんなある日、私は鏡に映る己の右鼻あたりに違和感を抱いた。そして、しばし観察した後、その違和感の正体に気づいた私は絶句した。

「鼻毛が……出とる……よぃ……」

久方振りの鼻毛との邂逅かいこうであった。右鼻の鼻毛(=右鼻うびもう)が、まるで己の存在を世に知らしめようとするがごとく、威勢良くヒョイッと飛び出していた。

これまでの人生においても、今回のように鼻毛が姿を露呈ろていすることは何度かあった。私はその度に、その露呈した鼻毛を鼻の中に戻すという荒技を繰り出すことによって、なんとか事なきを得ていた(もちろん、その後はきちんと手を洗った)。

今回も同じ作戦を用い、右鼻毛を鼻の中に戻してやった(もちろん、その後はきちんと手を洗った)。今まで通りきちんと鼻の中に収納され、私は安堵の溜め息をついた。

しかし、数時間後トイレに行った際に鏡で確認してみると、なんと右鼻毛が再度飛び出していたのである。私は周囲に人がいないことを確認しつつ、再び右鼻毛を鼻の中に戻した(もちろん、その後はきちんと手を洗った)。

だが、そんな努力も虚しく、何度戻しても時間が経つと再び飛び出してしまう。まさにイタチごっこであった。こんな事は人生で初めてであり、私は右鼻毛に対して心底困惑したのである。

「あぁ、右鼻毛よ。どうして貴方あなたはそうもかたくなに外の世界へ飛び出そうとするんだい?」

私はそう問いかけるも、右鼻毛はウンともスンとも言わず、ただそこに静かにたたずんでいた。その姿には威厳を感じざるを得なかった。


そんなこんなで、右鼻毛に対して私が不毛な問いを繰り返している内に、気づけば一ヶ月ほどが経過していた。まさに、光陰矢の如し。

マスクによって右鼻毛を隠蔽いんぺいしていたことと、心底面倒くさい気持ちが相まって、一ヶ月もこの状況を放置していたのである。まさに、愚の骨頂。

しかし、私はようやく重い腰を上げて決意した。

「よし、鼻毛を切ろう!」

私は遂に人生で初めて鼻毛を切ることにしたのである。ゆえあって所持していた散髪用のハサミを使用し、鼻の中を傷つけないように慎重に処置を行った(もちろん、使用前後にはきちんとハサミを洗った)。

ターゲットである右鼻毛に狙いを定め、いざッ。

「サクッ」(鼻毛切断音)

果たしてこの擬音語が適切かどうかは定かではないが、少なくとも切った瞬間に心地良い音がしたのは確かである。

切断された右鼻毛を見やると、それはそれは実に堂々たる立派な鼻毛であった。これにて右鼻毛、切断完了なり。

さようなら、右鼻毛 ――。


この一切りは、人類にとっては小さな一切りだが、一人の人間にとっては偉大な一切りなのである。

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