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旅の終わりの美学

「旅行中横におっても全然うっとうしくないからいい」と、帰りの電車で言われたことがある。寝起きで掠れて頼りない声だった。

しかし思い返してみれば、電車を降りる時に眠っている相手を起こすくらいで、何してはるかなどは気にせず旅行先の対象に意識が集中している。

あと移動中は静かなほうかもしれない。ベラベラ喋るのが好きでないから自然とそうなるが、特に帰路なんかはそれが相手にとっても良いらしい。相手がぐったりしているのに構わずベラベラ喋る人は、何かしら一人で時間を潰すものを用意するか、「沈黙」、つまり喋らないことに慣れたほうがいい。

そして旅の終わりをうまくおさめるコツは、帰りの移動は無駄に喋らずまったりして、互いの家から近い場所に着いたら飲みに行って、それから解散すること。旅先で晩ごはんを楽しむよりは昼を豪勢にして、夜は気兼ねなく見知ったエリアで飲むほうが気兼ねなく楽しめる。


しかし一人旅の終わりは非常に淡白だ。帰りの電車で「寝る以外は必死でやらないと30代で詰むぞ」「遊んでる暇なんてないぞ」なんて脅し記事を見てしまったら、先程までの旅の時間が味気ゼロに早変わりして、次の瞬間「はよ帰って仕事したい」なんてことを考え出す。そして乗り換え駅の梅田で買ったサブウェイのサンドを晩御飯にしながら、日付が変わるまで記事を書いたりしてしまう。

畢竟旅をゆったり楽しむということは私には不可能なのかもしれない。旅行中でも執筆の題材探しやインスピレーション源をストックすることに躍起になってしまうから、旅の終わりもあっけなく仕事に飲み込まれてしまうのだろう。

他人から同伴者に適した人と思われても、自分だけでは決して旅上手にはなれない。隣に評価してくれる人がいるから私は旅の終わり上手でいられるだけだ。


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