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【青い鳥文庫】パスワードシリーズを読み返す【児童文学】


こんにちは。いきなりですが、『いつも心に好奇心!』の最後を「ミステリー」と読むあなた、友達になりましょう!



もうじゅうぶんに生きたし、そろそろ人生も終わり支度をした方がいいんじゃないかということで、小学生のときに大好きだった本を読み返して懐かしさに浸る行為が増えてきた今日この頃。
そんなノスタルジー活動の一環として、〈パスワード〉シリーズをひさびさに読み進めています。

パスワードシリーズ、正式には「パソコン通信探偵団事件ノート」シリーズとは、1995年から現在まで青い鳥文庫から出ている、松原秀行(敬称略)による児童文学ミステリ/パズル小説の人気シリーズです。もう今はシリーズ累計で40冊くらいあるらしいです。

なにを隠そう、わたしが小学生の頃にドハマりしていた2大・青い鳥文庫の一角であり(もう一つははやみねかおるの夢水清志郎シリーズ)、これまで出会ったなかで最も思い入れのある本のひとつといっても過言ではありません。パスワードシリーズに出会っていなかったら本好きにはなっていなかったかも!

読んだ覚えがあるのは、中学生編に入って少し経った、『レイの帰還』(24)か『まぼろしの水』(25)あたりまでです。シリーズ初期のほうがとうぜん思い入れは深いけれど、小学生編の後半や、中学生編にもかなり好きな巻はあります。『風浜クエスト』(17)はマチトムでいうR・RPG(リアルロールプレイングゲーム)を扱っててめちゃくちゃ面白かった記憶があるし、中学生編3巻目『悪の華』に出てくる双子男子キャラに当時なぜか激ハマりしていました。


また、自分とパスワードシリーズの関わりを語る上で必ず触れている自慢として、中学生の頃に自作の暗号パズルを作者にメールで送ったら採用されて作中で使われたことがあります。これが、わたしの人生ゆいいつにして最大の偉業です。 もうゴールしてもいいよね・・・

とにかく、暗号を応募するくらいパスワードシリーズが好きだということです。わたしの人生初の "推しカプ" は今考えればおそらく小海マコトと林葉みずきのヘテロカップリングだし(ヘテロ恋愛規範に強く囚われているのってもしかしてこのせい……?)、野沢レイさんは一生の憧れです。また、本シリーズの影響で小6の頃に図書室にあったシャーロックホームズを一通り読んだりもしました。

で、気まぐれで読み返したくなって実家にあったパスワードシリーズを取り寄せて1巻から読み始めました。『ひ・み・つ』から『謎旅行』までの4冊をとりあえず読んだので、その読書メモを以下に載せます。



パスワードは、ひ・み・つ

松原秀行『パスワードは、ひ・み・つ』1995年原著刊行, 2011年new版刊行

馴染みがあるのはオリジナル版ですが、今回は主にnew版で読んでいきました。(あとでオリジナル版との比較もしたりしなかったり……)

2024/1/28~29

1/28, 29(月)
2011年に刊行されたnew版のほうで久々の再読。
new版でもこの第1巻だけは刊行当時に買ってたしか読んでいた。

めっちゃ泣ける。故郷のような安心感
子供の頃はレイさんに憧れるマコトたちの目線で「こんなステキな大人いたらなぁ」と楽しんでいたけれど、今読むとレイさんの目線で読んじゃう。小5の仲良しグループの輪に入って監督役をする30歳………… 羨ましいというかなんというか。レイさんはどういう気持ちでマコトたちに接していたのかな、とか考えるといちいちグッとくる。

そういえばマコトの一人称じゃなくて三人称なんだな。基本的にはマコトたちに焦点化した擬似一人称ではあるけれど、わりと読者側に語りかけてもくる自由でノリのいい語り手だ。本作品はなによりこの地の文の語りの読み易さと心地良さに支えられている。

new版を読んでいるので、パソコン通信時代のワープロではなくインターネット時代のノートパソコンで電子捜査会議をやっている。ただ2020年代のいま読むと、これでもかなり時代性を感じる。今ならいちいちチャットではなくて音声通話か、なんならビデオ通話で済ませちゃうだろうから。そのほうがずっと効率も良い。なんでこの人たちわざわざ文字でチャットしてるんだろう?と今の子は思うのかな(オリジナル版を読んでいた小学生の頃の自分は「……パソコン通信?なにそれ」と思っていた)

でも、『パスワード』は文字によるチャット形式じゃないと成立しない小説なんだよな。それは至るところに表れている。

・打ち間違え、変換ミスによる作劇
・ゆっくりタイプする演出(みずきの換字式暗号の読解表、「魔法の帽子」回のダイの「ぶんなぐってやる」発言など)
・顔文字の頻繁な使用
・そういえば○○ぜんぜん発言してなかったね、系のくだり(飛鳥、みずき)
・オフ会で初めて顔合わせするドキドキ感
・ネロの正体

この巻最大の謎(大オチ)であるネロの正体とかが文字チャット形式に依存している。つまりミステリとして必然性があるのだけれど、そういうのをおいたとしても、「小説/文学」として、チャット形式には圧倒的な魅力があると噛みしめながら読んでいる。文字で打ち込まれている彼らの「発言」「会話」をこちらも "文字" として読むことの面白さ、歓びがあるからだ。

みずきの「~だよっ」と語尾に「っ」を付けることで「元気少女」感を出すかんじとか、彼らそれぞれにチャットでの語りのスタイル(文体)があって、それらがとてつもなく魅力的かつ読み易い。それがパスワードシリーズの最大の魅力だと思う。(むろん、どの巻でも後半になればなるほど「オフ」で対面してのシーンが増えていく傾向にあるとはいえ。)
現実的に考えれば、いくら当時の小学生でも文字チャットで打ち込む時にそんな言い回しはしないだろう、というような発言/文体であふれてはいるが、だからこそ文学として、小説として魅力的なのだ。小説を読むことの根源的な面白さをぼくはこのパスワードシリーズから教わったんだ。


・同性愛差別など

「なにかいいかけてなかった、みずき?」
「う、うん、ちょっとおかしなこと考えちゃったんだ。」
「おかしなことって?」
「えーと、だからさ、めあてはシュークリームじゃなくて、じつはマコトだったんじゃないか、なんて。」
「へっ?」
 なんのことをいわれたのか、マコトにはよくわからなかった。
「あはは、まるで『BL』の世界。」
「BL、って?」
「わかりやすくいえば『BL(ボーイズラブ)』。男の子が男の子をすきになっちゃうマンガとか小説だよっ。でも、ンなわけないよね。」
 マコトはぼうぜんとしてしまった。な、なんてこというんだ。
「あたりまえだあ!!!!!!」
 パソコン画面にむかって思わず声を荒げつつ、マコトはビシバシとキーボードをたたいていた。みずきって、いったい、どういう性格をしているのだ?
「(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)」
と、顔文字を打ちこんできたのは、ダイではない。ネロだった。ずっとだまっていたネロが、話にわりこんできたのだ。
「いや、きょうのもじつにおもしろい話だった。わが電子探偵団の事件簿も、ますます充実してきたじゃあないか。」
「あのね、ネロ。ひとごとだと思って、おもしろがらないでよ。」
「まあ、そうカリカリしないでくれたまえ、マコト。ミステリーには、ときにユーモアも必要ではないかね。」

新版 pp.117-119

こういうくだりを読むと、いかに本シリーズがヘテロノーマティブ(異性愛中心主義的)でありホモフォビック(同性愛差別的)であるかが伺える。

子供のその後の価値観の形成に絶大な影響を与えてしまう児童文学だからこそ、こういうところは細心の注意を払ってアップデートするべき。(ネット掲示板でのチャット形式を「改訂」する必要は全くないが、こういうところは再度改訂してほしいと思う)

マコトたちは子供だからしょうがないとはいえ、ネロが大人として優しく諭して教え導くべき。な~にが (^_^) だよネロ! ちゃんとしろ!!! 「ユーモア」扱いされて、同性愛当事者の子供が読んだらどう思うのか。

こういう点でもやはり大人側の視点で読んでしまうし、子供の頃に親しんだ児童文学を大人になってから読み返すという体験にはそういう魅力/価値があるのだと思う。



読み終わった!
最高。
コンピュータエンジニア=男性、という思い込みにとらわれているようでは名探偵になれない。 あとがき(↓)の、改訂版で修正した11章のくだりってここのことかな? ここでのネロは本当に素晴らしい大人であり教育者であり名探偵の師匠なんだけど、それならばBLのところも直してほしかったな……

じつをいうと「パソコン通信」→「インターネット」ばかりではなく、ものすごく気になっていた部分が11章にひとつあって、この際だからと大幅に手を入れました。興味のある読者は読みくらべてみてください。

p.256 「new」版へのあとがき


子供たちが犯罪に巻き込まれないように立ち回るネロの言動むなしく、児童小説として子供たちが大活躍して終わる。ここのあたりはバランスが難しいところだ。

マコトとみずきの関係が良過ぎる。おそらく、自分が人生で初めて「推し」たヘテロカップリング………… いま思うと児童文学の異性愛主義はほんと罪深いっすよね……大好きなのは変わらないけど…………

「えーと、いま、思いついたんだけどさ。その別荘には、胸かどこかをわるくした少年が静養にやってきたんだ。早朝、目がさめて、ふとブラインドのすきまから外を見ると、むかいの展望台に、健康そのもののマラソン少女がいる。少年はすっかり心をひかれてしまった。で、とっさにブラインドをうごかして、少女の注意をこっちにひきつけようとした……だめかな。」
 シーンという音が、画面からつたわってくるような気が、マコトにはした。
「健康そのもののマラソン少女って、それ、つまり、あたしのことね。」
 みずきがいった。画面にうかんだ文字も、なんとなくつめたく見えた。
「ふーん、マコトってミステリーだけじゃなくって、少女小説もすきだったんだ。」
「だから、ぼくがまえにいったじゃないか。」
 飛鳥がひやかす。
「マコトは将来、作家になれるぞって。いやあ、あらためて感心したよ。すごい想像力じゃないか。」
「でも、いまの推理、けっこうおもしろかったけどなあ。ほんとかどうかはともかくとして。」
 ダイにまでそういわれて、マコトは落ちこんでしまった。いうんじゃなかった。

p.190

「健康そのもののマラソン少女」!!!  このフレーズはさすがに記憶に染みついているな。みずきというキャラクターを端的に定義することば。
マコト~~~~・・・・・ こんなん告白も同義だからね。でも小学生だから、そうは受け取られないし、言った本人に自覚もない。最オブ高

このシーンを今の自分が真面目に分析すると、マコトが発言したあとで、飛鳥やダイがすぐにからかうんじゃなくて、まずみずき本人が真正面から受け止めてバッサリ返すのが素晴らしいと思う。男子同士のホモソ的なノリになることを回避しているし、こういうところにみずきという人物の魅力が詰まっているんだよな。「少女小説」を引いてくるのもめっちゃ良い。現代の小学生は「少女小説」にピンとこないだろうから、作者:松原さんの育ってきた年代感も感じる。

あらためてまどかを目にして、マコトはまたまたぼーっとなってしまった。こんなカワイイ子がはいってくるなんて。これからの電子捜査会議は、ますます楽しくなるぞ。そんな気持ちを読みとったかのように、みずきがマコトをにらんで、小声でいった。
「あのさ、マコト。美人によわいと、名探偵はつとまらないぞ。」
「よし、話はきまった。」
 レイが、あいかわらずのネロ口調でつづけた。

p.248

ここ!!!! (やきもちをやいた)みずきのなじりに対するマコトの応答や反応を一切描かずに流す!!!!!
中学生だともっと余計な自意識がついて描写が増えるところ、やっぱり小学生が最高なんだよな……


2/7(水)
オリジナル版(1995)との比較

↑のラストシーンのみずきの台詞からして違った!

「マコトくん、美人によわいと、名探偵はつとまらないぞ。」

原版 p.248

「マコトくん」か~~~ 初期はまだそれぞれのキャラが固まっていない、という長期シリーズあるある。だけど「マコトくん」と敢えて呼ぶのも良いねぇ~~~~

というか、オリジナル版の最初からパラ読みしていて、そもそも互いの呼び名が全編にわたって変更されていることに気付いた!

「いってみただけだよっ。ね、マコトく~ん、なにかヒントはないの~?」 

原版 p.8

「いってみただけだよっ。ね、ね、マコト、なにかヒントはないの~?」

新版 p.8

のように、みずき→マコト の呼称が基本的に「マコトくん」→「マコト」と変更されている。(だから、p.248の「マコトくん」もわざと冷たく呼んだわけではないってことだ。)
もっと大きな変更はみずきの皆からの呼ばれ方で、

 そんなハードなトレーニングをこなすいっぽうで、パソコン通信も手がけ、しかも電子探偵団にまでくわわってきたのだから、もう、スーパー少女といってもよさそうだ。マコトたちは、だれからともなく、尊敬の思いをこめて、「みずき姫」とよぶようになっていた。

原版 p.43

みずき姫・・・・・・・・・・  そうだったっけか…………ぜんぜん覚えてなかった。
みずきが「オタサーの姫」ならぬ「男子小学生サーの姫」だった時代………… でも、たしかに小学5, 6年生って、こういう今考えるとめっちゃ恥ずかしいノリをやってても自然な気がする。自分の身に覚えがあるから…………

ちなみに新版のこの部分はかなり加筆修正されている。

 そんなハードなトレーニングをこなすいっぽうで、電子塾にはいり、しかも電子探偵団にまでくわわってきたのだから、もう、スーパー少女といってもよさそうだ。
 ただひとりの女子メンバーとあって、マコトたちははじめ、「林葉さん」と呼びかけていた。すると、本人からNGがでた。
「やめてくれないかなっ、その呼びかた。みずき、でいいよ。そのかわりあたしもみんなのこと、クンとか敬称ぬきで呼ぶからさっ。」
 というわけで、四人ははじめから、おたがいを名前で呼び合っていたのだった。

新版 p.43

新版ではここでみずきに上手く立ち回らせることによって、原版の「みずき姫」どころか、他メンバーのくん付けも取っ払って、はじめから呼び捨てであることをあるていど自然なかたちで成立させたってことか。なるほど。

あとがきに書いてある、11章の重大な変更点を探す。

だいたい怪獣映画なんて、いまどき、レンタルビデオでいつでも見られるんじゃないのか?

原版 p.197

だいたい怪獣映画なんて、いまどき、オンデマンドかレンタルでいつでも見られるんじゃないのか?

新版 p.197

ここは些細な修正点。ここでいうオンデマンドってTVの契約チャンネルのことか。2011年頃だから。いま(2020年代)ならサブスク配信だろう。通信・映像メディアの移り変わりは早い

部屋にもどると、マコトは住所録を開き、みずきの家の電話番号をプッシュした。

原版 p.199

部屋にもどると、マコトはアドレス帳を開き、部屋にある子機を取りあげて、みずきの家の電話番号をプッシュした。

新版 p.199

「住所録」……電話帳・タウンページが当たり前だった時代から、「アドレス帳」へ……。新版の「アドレス帳」が、タウンページの言い換えなのか、それともマコトが個人的にみずきから聞いていた番号を書き留めていたものなのかは不明。

あと、マコトがみずきの「ママ」ではなく「お母さん」と呼ぶように変わってもいる。地味な改変!

 飛鳥の皮肉は無視して、マコトはいった。
「とつぜんだけど、オフしないか。」
「オフする? いいけど、いつ?」
「いまから」

原版 p.201

 飛鳥の皮肉は無視して、マコトはいった。
「とつぜんだけど、オフ会しないか。」
「オフ会? いいけど、いつ?」
「いまから」

新版 p.201

「オフ」→「オフ会」  「オフする」という動詞が死語になった。昔はオフ会って単語なかったの?

オフ(会)の話題がはじめに出てきたのは p.52 のネロの提案。

「きみたちが顔をそろえて、ほぼ一ヵ月になる。そろそろ、オフしてもいいころだとは思わないかね?」
 オフするというのは、パソコン通信をやっているメンバーが、どこかで、じっさいに顔をあわせて話をすることだ。

原版 p.52

「きみたちが顔をそろえて、ほぼ一ヵ月になる。そろそろ、オフ会してもいいころだとは思わないかね?」
 オフ会というのは、ネットのオンラインで知り合ったメンバーが、ネットからオフ(off=離れる)し、どこかで、じっさいに顔をあわせて話をすることだ。

新版 p.52

新版のほうがより丁寧になっている。まぁ(今の)小学生が「オフ会」を知っているとは思えないからこれはありがたいね。

「ここもそろそろヤバいかもしれんぞ。あのむすめ、この近所のガキだろう。いなくなったことに親が気づいてさわぎだしたら、まずいぞ。」
「うむ。まったくよけいなことをしやがるガキだ。まあしかし、一日ぐらいは、まだだいじょうぶだろう。きょうじゅうには設計図が完成すると、あの先生もいっている。夜には、こんなところからはおさらばだ。」

原版 pp.219-220

「ここもそろそろヤバいかもしれんぞ。あのむすめ、この近所のガキだろう。いなくなったことに親が気づいてさわぎだしたら、まずいぞ。ここみたいにネット環境が充実している隠れ家は、そうそうない。また見つけるとなると、ひと苦労だぜ。」
「うむ。まったくよけいなことをしやがるガキだ。まあしかし、一日ぐらいは、まだだいじょうぶだろう。きょうじゅうにはホスト・コンピュータに侵入できそうだと、あの先生もいってる。そうなりゃ、この計画もほぼ成功ってことよ。」

新版 pp.219-220

なるほど。神岡教授を拉致して従事させていたのが、「設計図」の作成から「ホスト・コンピュータ」への侵入に変わっている。ここもハイテク化。 新版ではそれを受けて、この別荘(隠れ家)のネット環境の充実ぐらいまで丁寧に補足している。2011年頃だとインターネット環境の整っている場所は(わざわざ補足が必要なほど)珍しかったということか? 

「よし、村山、書きかけでもいいから、設計図をとってこい。」
 山上の命令で、村山がむかいがわの部屋に飛びこみ、紙のたばをかかえてでてきた。

原版 p.232

「よし、村山、途中でもいいから、データをとってこい! トンズラだ!」
 山上の命令で、村山がむかいがわの部屋に飛びこみ、外付けのハードディスクをかかえてでてきた。

新版 p.232

「設計図」→「データ」
「紙のたば」→「外付けのハードディスク」
どうしても書き換えたかったのってまさかこれ??

 あれから、山上一味は坂道をにげまどっているところを警察につかまって、事件は解決した。書きかけの設計図も、神岡博士の手にぶじにもどってきた。
 工学博士の神岡博士は、画期的なスーパーコンピュータの開発を研究中だった。これをかぎつけたのが、山上たち産業スパイだった。スーパーコンピュータの設計図は、大学の金庫に厳重に保管されていて、一味にも手がだせなかった。そこで、一味は神岡親子をさらい、まえから目をつけていた無人の別荘に監禁した。そして、「いうことをきかないと、むすめがどうなっても知らない。」と博士を脅迫し、あらためて別荘で設計図を書かせていたのだ。

原版 p.239

 あれから、山上一味は坂道をにげまどっているところを警察につかまって、事件は解決した。うばわれかけたプログラムも、神岡博士の手にぶじにもどってきた。
 工学博士の神岡博士は、「金融業界におけるセキュリティ・プログラムの脆弱性」という論文を発表していた。
 これを知った山上たちは、銀行のセキュリティが専門家から見ると弱いことに気づく。そこで一味は一計を案じた。スイス銀行のセキュリティを突破し、五百億円もの不正送金をたくらんだのだ。
 そればかりではなかった。ハッキングのために、なんと、神岡博士その人を利用しようと考えた。
 こうして一味は神岡親子をさらい、まえから目をつけていた無人の別荘に監禁。「いうことをきかないと、むすめがどうなっても知らない。」と博士を脅迫し、別荘で作業させていたのだった。

新版 pp.239-240

終章の冒頭だけど、なるほどこうして見比べると、11章の拉致監禁事件の目的がかなり変わっている。さすがに「スーパーコンピュータの設計図」が「大学の金庫に厳重に保管されていて」、「あたためて設計図を書かせ」るなんてことが技術が進んだ現代ではあまりにあほらしいから修正したのだろうか。この「設計図」ってたぶん手書きだもんな…………

新版のほうは、なるほど、銀行の脆弱なセキュリティをハッキングさせて不正送金を試みる、というやり口に変わっており、これがどれだけ当を得ているのかは判断できないが、なんとなく現代向けに着実にアップデートされている気はする。

そして例の大オチどんでん返しの(ちょっとヒヤヒヤする)部分は

「ぼくもすっかりだまされちゃったよ。ネロはコンピュータ技師ってことだったし、まさか女の人だったなんて。」
「あ、ダイくん、それは問題発言だぞ。」
 レイがおもしろそうな顔で、
「女性のコンピュータ技師がいたって、いまはふしぎじゃない時代でしょう。だいたい、名探偵なら、そんな固定観念にとらわれちゃいけないわよ。」
「それはそうかもしれないけどさあ。」
 ダイのかわりに飛鳥がいった。
「だけど、電子捜査会議のときのことばづかいをみれば、だれだって男だって思うよ。」

原版 p.242

「ぼくもすっかりだまされたよ。ネロはコンピュータエンジニアってことだったし、てっきり男の人とばかり思ってたもの。」
「あ、飛鳥、それは問題発言だぞ。」
 レイがおもしろそうな顔で、
「女性のコンピュータエンジニアがいたって、べつにふしぎはないでしょう。だいたい、名探偵なら、そんな思いこみは禁物だな。」
「それはそうかもしれないけどさあ。」
 飛鳥のかわりにダイがいった。
「だけど、電子捜査会議のときのことばづかい。あれ見たら、男って考えるほうがフツーじゃないかあ。」

新版 p.242

問題発言主がダイ→飛鳥にすげ変わってて草  まぁそのあとの発言も危ういのでどっちしにろ…だけど。
レイさんが職業のジェンダー偏向観について諭すくだり自体はもとから存在するものの、こうして比べるとわりと細かく修正が施されていて、なるほどこれはかなり気を使って為されたことがわかる。

コンピュータ技師
→コンピュータエンジニア

これはジェンダーとは無関係の時代の趨勢

「まさか女の人だったなんて」
→「てっきり男の人とばかり思ってた」  

前者の「女性のコンピュータ技師を想定するほうがおかしいか」のような言い回しから、後者は「コンピュータ技師ときいて男性とばかり思う」ほうが悪いのだと、力点をズラしていて良いと思う。焦点が当たるべきはつねに、差別される側のあり方ではなく差別する側のあり方だから。

「女性の~がいたって、いまはふしぎじゃない時代でしょう」
→「女性の~がいたって、べつにふしぎはないでしょう」

これは良改変ではなかろうか。原版のだと、女性のコンピュータ技師がいて「ふしぎ」だった時代がついこないだまであった、ということを含んでいるようだし、それに伴って、また「時代」が変われば元に戻る可能性があるようにも受け取られてしまう。女性差別撤廃運動が一過性の〈ブーム〉であるかのように子供に思わせかねない文は修正されてよかった。

「そんな固定観念にとらわれちゃいけないわよ」
→「そんな思いこみは禁物だな」

……まず、前者だとあたかも「コンピュータ技師=男性 という固定観念は普遍的に存在している(そのうえで一般人ならば固定観念にとらわれていても仕方ないが名探偵はとらわれてはいけない)」ように読めてしまう。これは本シーンの「名探偵」の扱い方に照らしても本意ではないだろう。
あくまでレイさんは、マコトたちに「君たちは賢くて将来有望な子供たちなんだから」とエールを送り発破をかける意味で「名探偵なら」と言ったのであって、性差別助長的な意味で「名探偵」という概念を使用したのではない。それはミステリとしての本シリーズ全体にとって冒涜的になってしまう。だから、「固定観念」から「思いこみ」へと矮小化して、君たちはそんな思いこみを持たない人になってほしい、というレイの願いが表れている台詞に直した。

むろん、実際に歴史的に(そして現在も確かに)存在する女性差別的なジェンダー規範を矮小化して子供に語ることは悪い、という向きはある。しかしながら、あまりに社会的な意味合いを持たせすぎるのはさすがにこの場面・この作品としては不適切だし、まずは目の前の子供(マコトたちであり、これを読む子供たちでもある)に、君から変わってほしい、と軽やかに訴えかけているように読めるのでわたしは修正後のほうを支持する。「そんな固定観念にとらわれちゃいけない」よりも「そんな思いこみは禁物」のほうが強い言い回しだろうし。

そして、この台詞のより重要な変更点は、「~わよ」→「~だな」と、口調がレイのものからネロのものに変わっているところだろう。
レイ=ネロ、という同一人物のネタばらしをして「解説」をしている最中にダイ(/飛鳥)からジェンダー規範的な発言をされて、彼らを導く立場にある大人(憧れの名探偵)として、また当のトリック(サプライズ)を仕掛けた張本人として、いかに応答すべきか、というのはきわめて重要である。
そこで、ジェンダー差別的な規範を内面化した(ある種レイの狙い通りの)反論を子供たちから受けたときに、「~わよ」という歴史的に「女性的」だとされてきた口調で受け答えしてしまうよりも、ネロとしての(ジェンダーニュートラルな)口調でパフォーマティブにネロ=レイを体現し続けたほうがよいと思われる。

「だれだって男だって思うよ」
→「男って考えるほうがフツーじゃないかあ」

これも、差別的な規範の提示がよりマイルドになっていてよい。ただ、そもそも論をいってしまえば、「男口調/女口調」を前提にした「仕掛け」を物語の大オチの謎に据えること自体が時代遅れであり、どう考えてもセクシズムである、というのは…………ある…………。でも、見方を変えれば、女性であってもネロのような喋り方をしていいんだと、野沢レイ=ネロというキャラクターは子供たち(特に少女たち)にひとつの規範解放的なロールモデルたりえる、という肯定的な評価もできるかもしれない。まぁ、生身のレイさん本人は超絶美人としてめちゃくちゃテンプレな「女性性」を負わされているキャラクターでもあるけれど…………。



パスワードのおくりもの

『パスワードのおくりもの』原著1996年、new版2011年刊行


2024/1/29(月)
new版を読んだ。刊行当時、初版で買って実家に積んでいたけれど、おそらくこちらを読んだのは初めてだと思う。

というのも、第3章のマコト作の密室トリックに、なんだか腑に落ちないし記憶にもないなぁ……と思っていたところ、あとがきに「「第三章」の留守番電話のトリックは、まったくべつの方法に全面的に書き換えました」p.265 と書かれていたからだ。……だから見覚えがなかったのか!

デジタル技術の進展に伴って改訂されたnew版では、「スマートフォン」という単語も一瞬出てくる(さすがにマコトたち小5が持ってはいないけれど)し、タブレット端末や、ネットサーフィン機能やムービー撮影機能のあるゲーム機「ヘルメス」も登場して、電子捜査会議の掲示板に飛鳥は(外で)撮った動画を(その場で)共有したりもする。パソコン通信時代の通信容量では考えられないだろう。

シリーズ第2巻となる本作の舞台は冬、12月のクリスマスシーズン。第1巻『パスワードは、ひ・み・つ』が4月~8月末の時期の話だったが、一気に季節が飛んで冬へ。天使に始まり天使に終わる綺麗な短編連作ミステリ。もちろんクライマックスはクリスマス当日であり、そこで事件が解決して調和=大団円が訪れる。

そんな『おくりもの』では、ミステリと並行して、《恋愛》がサブテーマとなる。第1章の天使の館のシルバーカップルに始まり、第7章「走る男」の熱血カップル、そしてなんといっても、マコト - みずき - まどか の三角関係が匂わされる。

前作の時点ではまどかが電子探偵団に入っておらず、マコト×みずき のカップリングはかなり順当に思われた。クライマックスでまどかとみずきが囚われている部屋にマコトが助けに入ったときも、初対面のフランス人形風美少女:まどかではなく、みずきをかばう形でマコトは勇気を出していた(挿絵)。その事件後にまどかが入団し、晴れて小学生5人のメンバーが揃ったことで、本作のマコトとのカップリング候補の少女もみずきとまどかのダブルヒロイン制を採るようになり、ふたりの少女のあいだでマコトが煩悶したり、まどかに気がある素振りを見せるマコトを見てみずきがやきもちをやいたり(超かわいい)する。

肝心のまどかは、序盤から想いを寄せる男子の存在が仄めかすも「ないしょ」といい p.32 、第7章でその人物が山王学園中等部の俳優似のハンサムな男子(移川ワタル)だと判明する。かと思えば、第10章でマコトが華麗な推理を見せて事件解決をしたときには「よーく見ると、マコトって、けっこうステキじゃない。まつげは長いし、きりっとした顔立ちだし、なにより頭が切れるしぃ……。」p.248 と考えていて、こうして見るとかなり節操がないというか惚れやすいファンタジー少女である。 ……てっきりまどかはこの頃からダイに気があるのかと思っていたけれど、まだ違ったんだ……と驚いた。

マコトとみずきがお互いに気になりだしては内心で否定して……という描写があるごとに見悶えている。小学生の恋愛の目覚め描写にニヤニヤしてテンション爆上がりしているオトナ……。。でも、レイさんも作中でそんな感じのことをしているのに気付いて爆笑した。子供の頃はなんとも思っていなかった描写なのに!!

「や、やあ、きてたんだ、みずき。」
 マコトはきごちなく声をかける。みずきの顔がかたくなった。
「ふーん、別の用事って、そういうことだったんだ。」
「い、いや、そうじゃなくて……。」
「いいよ、いいわけしなくたって。駅伝見るより、そっちのほうが楽しいもんねっ。」
 ぷいっと、みずきはそっぽを向いた。事情をさっしたのか、レイはニヤニヤしながらマコトとみずきを見くらべている。

pp.192-193

 みずきはマコトをチラッと見て、納得したふうな口ぶりで、いった。
「まどかがわざわざ、マコトとデートなんかするわけないもんねっ。」
 マコトはなんだかおもしろくなかった。ぼくがまどかとデートするって、そんなにヘンなのか? みずき、なにも、そんなにムキになることないじゃないか。レイはあいかわらずニヤニヤしながら、三人を見くらべている。

p.194

オトナになった今読むと、レイさんのポジションが役得すぎる・・・・・・・・


パスワードに気をつけて

『パスワードに気をつけて』1997年原著刊行, 2012年new版刊行

2024/2/7(水)~12(月)
3日間

オリジナル版とnew版を見比べて変更点を調べながら読んでいる。(ページ数や引用は基本的にnew版を参照。)

序章での登場人物紹介ページの文からして修正が入っている。これはデジタルの発展と関係なく、飛鳥の学校が「山王学園小学校」→「山王学園初等部」という誤記の修正。新版のイラストページは画質が悪く、画像を無理やりコピーして貼り付けたのだと明らかにわかってしまう。梶山さんのイラストの元データを失くしたのか……。この点では明確にオリジナル版のほうが良いということになってしまうので残念。

・第一章
p.12 「ワープロに音声発生装置がついていたら」→「パソコンでボイスチャットしていたら」
p.18 アメリカの都市伝説「バロン・サイクロプス」の設定内で、フロッピーディスクがDVDに換わってる!! しかもデータを何も書き込んでいない空のDVDでなければならないという条件つき。
p.21 メール→インターネット電話  まどかの帰国子女話に対する飛鳥の反応も、「ワープロじゃなくてパソコンを使ってインターネットをやっているの羨ましい!」から「英語で世界中のひとと交流してるの羨ましい!」に変わっている。「メカ少年」というよりも単に国際意識が高い子供になっているような……。

p.30 まどかがフランス映画『シベールの日曜日』を連想して言及 


「あっ、あたし、ひらめいたっ!!」
 とつぜん、みずきがさけんだ。いや、文字全体がさけんでいるように見えた。

p.31

パスワードシリーズの文学性の真骨頂
作中の人物たちの電子捜査会議体験とわれわれの読書体験がかなり近しいものになっている。

ダイが持ち込んできた、藤堂市駅前のシルクハット時計盗難事件の謎。図らずも昨日読んだ『秋期限定栗きんとん事件』上巻と似たような謎解き。……惜しくも的を外していたが。

p.36 ネロの "ハンドル=ネーム" の補足説明で「パソコン通信用の名前」→「通信用の名前」になっている。インターネット上での名前、とかのほうがいいのでは。

「よし、それでは諸君、わたしから説明することにしようか。」
 ネロが推理を語りはじめた。

p.44

いやヒント有りとはいえマコトがせっかく解けたんだから言わせたれよレイさ~~ん!ww 小学生から推理披露の機会を奪う大人げない30歳……

「いいかね、ダイとまどか。」
 さとすように、ネロはいった。
「そうなると、話がぱっとひろがってしまうおそれがありはしないかね。そうなった場合、せっかくの技師の努力は水のあわとなってしまうだろう。技師はまちがいなく、ネット掲示板などで非難をあびることだろうな。自分のミスだったとはいえ、それでは少しかわいそうだとは思わないかね。これだけおもしろいなぞを提供してくれたのだ。ここはひとつ、われわれの胸のなかだけにおさめておくことにしてはどうだろうか。」

p.44

p.47 シルクハット時計盗難の真相を周りに広めようとするダイとまどかをネロが諫めるときのセリフがちょっと違う。

オリジナル版の「まあ、ニューヨークならそんな心配はないかもしれないが、インターネットで通信をしているというのなら、万一ということもある。」という一文が削除されて、かわりに「技師はまちがいなく、ネット掲示板などで非難をあびることだろうな。」の「ネット掲示板などで」の部分がnew版では追加されている。
昔はネット掲示板での叩き・炎上は一般的でなかった。逆にいまは「インターネット(で)通信」という語の組み合わせは(概念として当たり前すぎて)あまり用いられなくなったことを受けての修正か。興味深い。

にしても、一応公共物の盗難というれっきとした犯罪を当事者/被害者(ダイの父親)にも警察にも知らせずに秘匿することを子供たちに教え諭すってのは、今思えばかなり危ないことをしてるなレイさん……。まぁ、探偵気取りで自分たちが推理した「真相」を嬉々として流布するのには慎重になるべき、と言い聞かせるのはたいへん教育的だと思うけれど。。

2/10(土)
第二章〜第四章
なんかやけに "女子組" の枠を強調してない?

犬が!!!死にます!!!!!
泣いちゃうよ

2/12(月)
第五章〜終章
クロノス=時の神=時田 は合ってて
ブラック・ウェブ=黒の巣=クロノス は早とちりなの草
序盤のアメリカの都市伝説怪人の話を、その電子捜査会議を盗み見ていたクロノス経由で回収するのうまいな〜〜
時田ススムが6人目の団員にならなかったメタな理由はなんなのだろう。まぁ男子4人目はキャラ被りするしな……
電子塾の個人情報保護セキュリティがガバガバ過ぎる。事業続けていいレベルじゃない。
最後までレイさんのありがたいお言葉。めっちゃ教育的で泣ける。パソコン通信〜ネット黎明期からこういう話を子供向けに書いてきた功績はかなりデカい。


パスワード謎旅行

『パスワード謎旅行』1997年原著刊行, 2013年new版刊行

2/12(月)
裏表紙に「シリーズ内でも特に人気の高い」…と書いてある。そうなんだ…… たしかに自分もまずこの巻から読んだんだよな、親から薦められたか何かで。オリジナル版の表紙のカッパ飛鳥めっちゃ見覚えある。

序章〜第二章
東北地方の夢野ってモデルは遠野?
ここで野原たまみ初登場かぁ〜〜

2/13(火)
第三章〜終章(十一章)
読み終わった。

シリーズ4巻目にして初めて風浜を離れての旅行モノ(館モノ要素あり)。ずっと5人が行動を共にするのでオンラインでの電子捜査会議シーンは少ないが、それだけにホテルの多目的ホールで夜にパソコンを囲んでネロにメール送るシーンとか、独特のエモさを感じた。タイピング担当がダイなのもなんか良い。

大仕掛けな館の物理トリックをあえて前半で明かすことで、後半の(ミステリではなく)活劇に活かす構成が上手いと思った。
名人=名入=ナイルとか、緒方=高尾とかはしょうもないギャグの範疇だけど……
なぞなぞ村での部首と画数を使った超難問漢字パズルだけ飛び抜けてクオリティが高かった。こういうの作りたい。読者の投稿作だなんて……

あとがきより、やっぱり夢野のモデルは遠野らしい。国シリーズだけでなく、自分のパスワードシリーズすら遠野から始まっていたなんて……

毎度お決まりの、クライマックスのサスペンス冒険活劇パート、今回はナイフを持った大人にマコトとみずきが迫られる、といちばん危なくてヒヤヒヤ。ネロ達が助けに入る前に、マコトが足払いで気絶させてるし…… ネロ、団長としてちょっとは子供たちの蛮勇を心配して諌めてやってくれ〜と思ってしまうのは大人になったからだ。そこが児童文学の難しいところだよなぁ。子供の読者からすれば、本の中でくらい大人相手でも華麗に活躍したいに決まってる。僕もそうだったもん。

野原たまみと電子探偵団5人の友情の芽生えがめっちゃ泣ける。ノハラ友達できて良かったねぇっ……
ノハラのモデルとなった篠原ともえ(シノラー)をまったく知らない世代なので、いま色々と調べて新鮮な気分。

そしてマコトとみずきの仲違い。のちを知ってる身からするとほぼ痴話喧嘩でしかないが、互いの意地っ張りなところや、そんな自分に嫌気が差したり、もう元のように仲良くできなくなってしまうのかと悲しむ様子がとてもグッとくる。
松原先生も書いてたけど、この巻で仲違いすることで、本格的にマコトは(まどかではなく)みずきへと想いを募らせ始める。謎旅行様様だ。


・まとめ

覚えてるところと忘れてるところがどっちもあって面白いですね。

子供の頃はマコトたち団員側に感情移入していたけど、今読むとレイさん側の立場になって読んでしまう、というのが読み返して最も変わったことであり、感慨深い点でもある。昔は「レイさんってめちゃくちゃ推理力あって優しくて頼りになってカッコいいな~~」という意味で憧れていたけれど、今は「都会で優雅に喫茶店を個人経営しながら友人のオンライン塾を手伝ってミステリ好きの子供たちを募って〈探偵団〉を結成して自分はそこの団長として慕われる三十路、マジで羨ましすぎる……」という意味での憧れに変質しました。

レイさんの団員たちへの言葉や接し方に、大人なりの精いっぱいの子供たちへの愛と責任感を透かし見て泣けもするし、またしばしば、おいおいそれは大人/指導者としてどうなんだ……というツッコミどころもあり、本当にじぶんが《大人》になってしまったんだなぁと実感させられます。

〈パスワード〉を読んでいたあの頃、大人というのはすごく遠くの立派な、なるべくしてなるような存在だった。でも大人になってわかった。大人というのは「なる」ものではなくて、単にもう《子供》ではいられなくなってしまった人たちが消極的に「なってしまう」ものなのだと。大人は子供の補集合に過ぎないのだと。大人に憧れるのが子供で、子供に憧れるのが大人。

大人になってよかったか、ときかれたら頷けはしないけれど、子供の頃に大好きだった本から、子供の頃とはちがった面白さを引き出せるようになったことは、そんなに悪いことじゃないかな、と思いました。それに、あの頃と同じような面白さだって、全部じゃないけれどちゃんと見つけられたし。


ところで、読み返していた影響で、こないだ大型書店に行ったときに児童書コーナーへ足を運んでみましたが、なんとパスワードシリーズが一冊も見当たりませんでした。青い鳥文庫の、夢水や怪盗クイーンや黒魔女さんや若おかみはちゃんとあるのに! パスワードだけがない!! 在庫検索してもやっぱり無かった・・・こんなにも哀しいことはありませんでした。もう自分たちの時代は完全に過ぎ去ってしまったのだと。人気の児童書のラインナップがずっと変わらないほうが不健全(というか商業的にヤバい)ので、新陳代謝が回っているのは良いことではあるんですが、今の本好きの小学生たちはパスワードを読まずに育っていくのだと思うと……ね。(まだ学校図書館とかにはあるんでしょうけれど)(そもそも今の子供は本なんて読まずにスマホでTikTokやYouTubeばかり観てるんですか?)

子供の頃に大好きだった人気シリーズの児童書がもう新刊書店で売られていない。こんなにも「もうお前の時代ではない」と、そろそろ潮時なんじゃないかと突き付けられることもそうそうないでしょう。(と信じたいけれど、むしろこれからどんどんそういう出来事に当たる頻度が増していくのでしょうね。それが《大人》になるということ。大人になることのなにが恐ろしいかって、大人になって終わりじゃなくて、そのあとも不断にますます大人になり続けていくしかないということです……)(←なんでこんなに悲観的なのこの人。ひくわ~~~)


加えて、そもそもシリーズ最新作『パズル戦国時代』の刊行が2017年12月なので、もうここ6年以上は新作が出ていない・・・・・・

じゃあ最近の松原先生(敬称付)は何をやっているんだと調べてみると、どうやら牧野富太郎(朝ドラの影響かな)の子供向け伝記本を書いたり、科学系の児童書を書いたり、『フランケンシュタイン』や『三銃士』などの海外古典小説の児童向けリライトを担当したりしているようです。

・・・いやそれはそれでめちゃくちゃ子供のためになる仕事をされてて何より~~~!!!



それではまた!



~もう戻れないあの頃ふりかえりシリーズ~


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