ケイ

日々写真を撮っています。写真についてのあれやこれやをつらつら書いていこうと思います。自…

ケイ

日々写真を撮っています。写真についてのあれやこれやをつらつら書いていこうと思います。自分の写真も上げていこうと思います。映画・文学・絵画などについてもたまに書くかも知れません。

最近の記事

写真_6(静)

認知が写真を作るのだとすれば、認知が変われば写真も変わる。 一旦変わってしまった認知を元に戻すのは難しいので変わる前の認知領域で撮られた写真はオーパーツさながら再現不可能になってしまうことも。 ただ、何かをきっかけにして再びその認知領域がオーバーラップしてくることもある。 私の場合はピタッと止まった静の写真とブレにブレた動の認知領域が交互に入れ替わっている。 躁鬱病が如し。

    • 写真_5

      清野賀子さんの写真の曇り空はずーっと曇ってて、揺れている草はずーっと揺れている。 何を言っているんだと。 写真だから当たり前なんだけど、その当たり前が不思議だと認識できる。 不思議じゃ無いけど不思議な写真て良いですね。

      • たむらしげるの世界

        最近、というか数年前から少しずつたむらしげるの作品を収集している。 たむらしげるとは、1949年生まれ、絵本「ありとすいか」で作家デビューし、漫画雑誌「ガロ」での漫画掲載や企業広告、教科書の表紙や映像作品など多岐に渡り活躍している。 代表作は自身の世界観を一つの惑星に凝縮した作品集「phantasmagoria」だろうか。 2022年にも「phantasmagoria」から約30年ぶりの集大成とも呼べる「たむらしげる作品集 ultramarine deep」が発刊されている。

        • 写真_4

          今やSNS上には膨大なイメージが氾濫している。 しかしこの氾濫のイメージは一昔前にもあった。 それは雑誌や広告、TVの普及に伴う情報伝達の爆発だ。 本格的にこれが起こったのは戦後、1960年代頃からだろうか。 雑誌、コマーシャル、TVは業界と結ばれた少数のクリエイターによって作られ与えられたが、SNSはそういった権威的な構造は(見かけ上は)無い、という違いはあれど、SNS以前に情報は既に氾濫していた。 そして勿論、というか当然、SNS上にも権威は存在する。 誰でも参加できる

        写真_6(静)

          トルボット 写真の発明、写真の起源

          赤々舎から2016年に刊行されたウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット著「自然の鉛筆」について。 この作品集のオリジナルは19世紀、著者によって発明されたカロタイプによる写真技術の宣伝の為に出版された物の復刊版だ。 同時期に発明されたダゲレオタイプとは違い、ネガポジ方法による複製が可能だったカロタイプは出版物として広める事ができた。 トルボット自身は写真のことを「フォトジェニック・ドローイング(自然の鉛筆)」と命名しており光により描かれる絵として目の前の現象を捉えていた

          トルボット 写真の発明、写真の起源

          私の写真_3

          難しいのは意識して完璧なフレーミングをしても良い写真にはならないことだ。 自分の写真の特性を理解したつもりになってガチガチにフレーミングして何十カット撮っても全然お話しにならない結果になる事が大半だ。 しかし、ふとした時に撮った数カットに魅力的なイメージが紛れ込んでいたり、本当に分からない。 まあ、それが面白くもあるんだけど、闇の中を歩いているような気分にもなる。 私の場合は軸にしている写真が何枚かあって、新たに撮った写真と軸のイメージを比較して共振するようなイメージを選んで

          私の写真_3

          私の写真_2

          古いコンデジでずっと身の回りのものを撮影している。 これは今日の写真表現においては随分と保守派の部類だろう。 特にセットアップもしないし、画像処理もコントラストや彩度を少し弄る程度。 トリミングもほとんどしない。 そこに拘っているわけではないがそうなっている。 とりあえず今のスタイルで何か形にできるまでは淡々と続けていく他無さそうだ。 少し興味があるとすれば、写真を3Dプリンターで彫刻化してみたいという考えがある。 一旦フレーミングされた平面を再度立体にしてみたらどうなるのか

          私の写真_2

          私の写真_1

          15年程前から写真をやっている。 写真専門学校へ入りモノクロから始めてカラーネガフィルムを経由して2013頃からデジタルへ。 以降ずっとNikonのP7700というコンデジで写真を撮っている。 モノクロ時代はグラフィカルでハイコントラスト。 要は森山大道のような写真を撮っていた。 その後色々と写真集を読み漁りアメリカン・ニュートポグラフィックやアメリカン・ニューカラー、日本の90年代のカラー写真などに影響を受けてカラーネガを始めた。 自宅にカラー写真現像機を揃えて自家プリ

          私の写真_1

          ウジェーヌ・アジェという写真家について

          ウジェーヌ・アジェは19世紀後半〜20世紀前半にかけて活動したパリの写真家だ。 アジェを通らずして近代写真は語れない程に写真史では超有名な巨匠の扱いである。 しかし生前のアジェといえば「芸術家のための資料」として撮影した写真を資料として売り歩き、所謂表現としての写真の発表は全くと言っていいほど行っていなかった。 そんなアジェの写真は当時のシュルレアリスムの芸術家達の目に留まり、アジェの意思ではなく他者から掬い上げられる形で例外的に芸術紙への写真掲載を行ったりもしている。 ここ

          ウジェーヌ・アジェという写真家について

          清野賀子 写真集「THE SIGN OF LIFE」について

          私的感想のため、安易で不適切な表現があるかも知れません。その点ご了承下さい 写真集「THE SIGN OF LIFE」 著者:清野賀子 テキスト:今枝麻子 ブックデザイン:石崎健太郎 発行:オシリス 2002年発売 この写真集に出会ったのは2008年頃だったと思う。 当時は写真専門学校の学生であらゆる写真集を貪るように見ていた。 そんな時期に東京の青山ブックセンターで出会った事をハッキリと記憶している。 出会ったと言ってもこの写真集を見たいと思い書店を巡り探し回っていたの

          清野賀子 写真集「THE SIGN OF LIFE」について

          はじめましてkと申します

          主に写真やその他芸術表現について気が向いたら書いていこう 私自身、写真家です 写真始めてかれこれ14年 展示や作品集制作など皆無と言っていい状況 そのうち何か形にできたらいいな 影響を受けている作家は多くいるが、2008年に他界された写真家・清野賀子さんの写真集「THE SIGN OF LIFE」は深く心に刻まれている写真集の一つ これは後々記事にしてみたい

          はじめましてkと申します