「利益」を追わないことの弊害 #4

利益は企業存続の条件であって目的ではない。

企業とは何かを問われると、たいていの企業人が利益を得るための組織と答える。たいていの経済学者もそう答える。この答えは間違いであるだけでない。的外れである。
  ― ピーター・ドラッカー  >出典

とある仕事の契約が約1年ほど残っている状況で、そのプロジェクトチームはとても疲弊していました。

顧客ユーザは提供されるサービス品質に満足できず改善要望を出し続け、チームはそれに応えるべく、時間というコストを大量に投下しました。
伴い利益率は低くなり、そのプロジェクト/チームの社内評価もよくありませんでした。

状態としては、顧客の満足度は低く、チームは疲れ、さらに会社からの評価はよくないという負の連鎖です。

その状況下でチームトップの判断は「最優先は顧客満足である」というものでした。
そのためには、また時間なのか人材なのか労働力なのか、なにかしらのコスト、投資が必要になります。
しかしながら、顧客はサービスに納得もできていないため、もちろんこれ以上のお金は支払いたくもありません。

顧客への貢献、ひいては社会への貢献であろうことを最重要だと捉え、それに応えるべく必死に努力をするのだが評価されない。
もちろん、ここに書かれていない要因もいくつかありますが、この状態を見て、企業で働く者として「これはなんなんだ」と思ったのが正直な感想です。
諸々は会社が悪いという見方もありますが、そういう状況をどうにかするのもまた私達の役割、仕事でもあるのです。

もし私がまた同じような状況に置かれるのなら、利益を追求する選択を迷わず最優先にします。
コストに見合うサービスとするか、価格交渉に走るか、スコープを狭め人員を解放するか、または利益のでない仕事はたたむという声を挙げるのか、、、
まあいずれも顧客満足とはいかない、きびしい選択になりそうです。

それでも、もし誰にも喜ばれることのない仕事になるのであれば、まずは身近なチームメイトのだれか一人でも幸せにできる「利益」を選択したいと思うのです。

すぐ身近な人を幸せにできず、社会に貢献できるのかは甚だ疑問です。

これは自戒です。

※「利益のために何をしても良い」これは間違いです。

――― 「利益」を追わないことの弊害

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