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市場の外にある、無駄だと省かれたコミュニティの豊かさ

ずっと書ききれなかった下書きがモリモリあるので、たまに読み返して、続きが書けそうだったら書いてみようかな。

の、1本目。
この話、3年前に書こうとしていたらしい。
8割以上書いていて、ほとんどそのままだけど、終わりがわからなくなって諦めたようです。

みんなでつくって、みんなでたべる

私は大学時代から中山間地域の下村地区と社会人になった今でも交流があります。期間で表すともう13年。
よそ者といわれた学生とその地域の関係が細く長く続いていることは、目立つことがないから周知されることもないけど、関係人口の創出においては結構珍しく、面白いケースなんじゃないかと思っていました。


※職場で発行している 市民活動情報誌「らこって」 で交流のある地域に取材した特集記事がこちらから読めます。


学生の頃から、複数の地区と交流があり、行く先々で畑や田んぼで野菜やお米をつくり、地元では経験できなかった田舎の暮らしをたくさん教えてもらいました。

みんなでつくった野菜やお米をみんなで調理してみんなで食べる。
「昔もこうやって自分の家族だけじゃなく、村全体で生活を作っていたんだよ」
そう村のお父さんたちが話してくれたのを思い出していました。
しかし、今はだんだんと村行事や環境整備に関わる人が少なくなってしまったという。

「今は世の中が便利だから、スーパーに行けば旬じゃない野菜も果物も買えるし、育てなくていいでしょ?だから、お金で解決する方がみんな楽なんだよ」

確かに今の世の中はとても便利で、ほしいものはお金があれば手に入るものがほとんどだけど、市場を介さないとできない生活を続けるにはお金を稼ぎ続けないといけないし、だんだんと自由な時間が消えていく。
そして仕事と家族以外で時間を使うという選択を選べなくなっていく。

そういう人が増えれば増えるほど、地域のみんなでなにかするということ自体失われていくのかもしれない。

課題も問題も市場で解消できる

いろんなサービスがあるおかげで、だいたいの課題も問題も市場で解決することってできちゃうと思いますが、それってコミュニティにおいてはうまくいかなくなる原因にもなるのかなと思います。

結局、市場で解決するわけだから、コミュニティとしてその問題に関わることなく、無くなってしまう。
多少の問題があっても、それを抱えながらみんなで解消する余白を持っておくというか。
なんでも市場に移行すると、結局市場の外にあったコミュニティが無駄だと省かれていくことになる。

例えば。
地域の公園の草刈りなんて面倒だし時間もない。それは業者にお願いすればいい。
となると、これまでみんなでやってきた草刈りをやる必要がなくなり、その分の労働からは離れられるかもしれないけど、同時にみんなで集まる共同作業はなくなってしまう。

実はそういう場が、隣近所の人と仲良くなり、地域にどんな人が住んでいるのかと知ることができる機会になっているのに。

共同体で生み出していた生活の豊かさ

市場の中にコミュニティが全くないかというと、会社のなかにもあるし、好きなお店に通うことも、捉え方によってはコミュニティではあるけど、どれも消費の上で成り立っているもの。

一方、地域コミュニティは消費の上で成り立っていないもの。
みんなが住む地域の清掃や町内会行事は、動いた労働に対してお金がもらえるわけでもないし、むしろ面倒だと思うことも多い。
それでも地域コミュニティのような共同体を維持していくことが大切なのは、予期せぬ震災や事件があったときに「そういえばあの人」と思い、思われる相互扶助の関係を築くためでもある。
そこに意味がなかったとしても、多様な人と、面倒な共同作業をすることが、他者を受け入れる・他者に受け入れてもらえる余白を持つことができると思うんだけど、市場の中のコミュニティに慣れすぎたのか、本当は追及しなくていいはずの利便性や存在意義を市場外のコミュニティに求めてしまっているような気がする。

誰かを受け入れたり、対価をもらわない労働が人や地域に貢献しているようで、実は自分の人生が生きやすくなる豊かさになったりすると思うんだけど、それを実感することも、理解してもらうことも難しいのかもしれない。

結局結論はわからない

3年前の私がどんな気持ちだったのか、鮮明には思い出せないけど、ここまで書いてたことは今とさほど考え方も変わってないな。
当時まちづくり会社にお誘いされていて、受けるかどうかを悩んでいたので、きっとこういうことを考えていたんだろうな、と思います。

いろんな考えがあるけど、私自身は”まちづくり”は一つの組織だけではできることが限られているし、成果として大きく広いもので目立つものが取り上げられてしまうことが多くて、外から見ていると「頑張っているんだな」とは思うけど、実際暮らしている人たちの生活の底上げにならないんじゃないかなと感じていました。これは今も思っているところもあるけど。

市場の中に存在するまちづくりは、いつまで持つんだろう。

それよりも、市場の外にあるコミュニティをつくり続けたいし、持ち続けたいな。

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