20221022

 晴れているが、ずっと寝ていた。イグBFC3はI、J、Kグループが発表された。まだわたしの作品は出ていない。八十作品を超えるエントリーがあるので、まだ半分ほどの作品しか組み合わせは決まっていないから気長に待つとしよう。とりあえず、今日はFグループを読んだ。ここでは、ユイニコール七里「私と父とそんなに知らないおじさん」に一票。文体に独特の癖があり、強烈な印象を与えながらも読ませる。父の死を受けた私が冷静に受け取りながら、隣家のおじさんの死を知り驚くというところから、なぜかそのおじさんと父の幽霊と一緒に食事に行くという話。話としては幻想的ではあるが、妙なリアリズムを備えつつ、オチが開業時間についてのクレームで閉じられるという奇妙さも面白かった。おそらく、わたしはこの作者について知っているが、変名なので詳細はわからない。わたしの知る作者はいつも個性的な作品を書く人物だ。才能を感じる。それはともかく、最近は小説を書く手が止まってしまっている。それでこの日記を始めたわけではあるが、小説がうまい人は日記も面白いのだ。柄谷行人は「日本近代文学とは二葉亭四迷に始まり中上健次に終わるものである」と述べているが、たしかに現代文学においてはいわゆるジャンル小説という棲み分けが進み、小説が背負っていた社会的意義のようなものは漫画、映画、アニメへと移ろいでいる気がする。それは構造的な話ではあるが、アイデンティティーを落とし込むにはそれなりに意味を見出すことが必要だ。そこに迷っているというところがある。小説の神様と呼ばれる志賀直哉の「城の崎にて」は彼が山手線に跳ね飛ばされて重傷を負ったあと、療養のために訪れた城崎温泉での経験がもとになっている。ここでは九死に一生を得た語り手が、蜂の死骸を見つめるところから死について考え、様々な生物の生き死にを見て生死観を語る心境の移ろいで構成された短編だ。風景描写と語り手の心境の変化が実に丁寧に、絶妙のバランスで書かれている。

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