アートは踏んづけていいのか?

川崎市にある岡本太郎美術館に行ってきた。

訪れた時はちょうど企画展で「TARO賞」作品の展示もやっている。もちろん岡本太郎の絵を見に来たのだけれど、現代の最先端のアートにも触れられるのならば一石二鳥だ。

いろんな面白いアートがある中で、最も僕の心を惹きつけたのがこの作品。


西徐闇という仏師の方が作った作品。そう、これは仏像である。そして、周りを囲むのは少年ジャンプ。なぜジャンプに囲まれているのか。なんとこの仏像、木ではなく少年ジャンプを積み重ねて掘ったものなのだ。見方によっては、捨てられた少年ジャンプの山の中から4体の仏像がにょきにょきと発生したようにも見える。

この時点で十分ぶっとんでるんだけど、すごいのはここからだった。

写真の右はじ、少年ジャンプの敷き詰められたゾーンがちょっとかけている部分があるのがお分かりいただけるだろうか。

ここに何やら、靴の足跡みたいなマークがある。

なるほど、ここに立って鑑賞してくださいということかな、と近づいてみて、足元にある説明文を読む。

「ここで靴を脱いで、マンガ雑誌を踏んづけて、左回りで一周してみてください」

ふむふむ……。

えっ、踏む!?

アート作品を踏んで、いいの!?

近くには美術館の職員さんがいる。ホントに踏んでいいの? 踏んだ瞬間に怒られたりしない? 僕は靴を脱ぎ、恐る恐るジャンプに足を乗せて、すぐひっこめる。

よし、踏んだぞ。なんだか、歴史の教科書に出てきた踏み絵みたいだ。

「作品を踏んで回ってみてください」と言われた時、人は踏める人と踏めない人に分けられる。そして私は、「アートを踏める人」となった。

と空威張りしてみたのだけれど、どうせならもっとちゃんと踏まないと「アートを踏める人」とは言えないんじゃないか。

両方の靴を脱いで、マンガ雑誌で作られたサークルの縁にに両足を乗せ、少し歩いてみる。

すると、美術館の職員さんがこっちに近づいてきた。

ヤバい! 怒られる! 取り押さえられる!

と思いきや、職員さんのいうことにゃ、「ヘリの部分はバランスを崩しやすくて危ないので、もっとサークルの中の方を歩いた方がいいですよ」

なんと、作品から降りるどころか、もっと中へ切り込めというのだ。

だけど、サークルの内側を歩くということは、仏像の近くを歩くということである。万が一バランスを崩して仏像にぶつかってしまったらどうしよう。

まあ、わざわざ上を歩いてみてくださいというくらいなのだから、ちょっとよろけてぶつかったぐらいでは壊れないように作っているんだろうけど。

僕は恐る恐る、サークルの内側を歩き始めた。

少年ジャンプを踏みつけながら歩いて行く。確かに不安定だけど、ジャンプは一冊一冊が分厚いので、それなりに安定感もある。

よろけないように足元をしっかり見る。遠くから見ると巨大なサークルに見えるけど、こうしてみると一冊一冊の少年ジャンプだ。ふだん本屋やコンビニで見るのと何ら変わらない。

そうだ、僕はアートを踏んでいるのではない。少年ジャンプを踏んでいるのだ。そう思うと、楽に足を進められる。

そう考えた瞬間、自分の中に電撃が走るがわかった。

つまり僕は無意識の上に「アート作品を踏んづけてはいけないけれど、少年ジャンプなら踏んづけてもいい」と線引きしてたことになるのだ。

なぜだ。なぜアート作品はダメで、少年ジャンプならいいのだ。

そもそも、アート作品を踏んづけちゃいけないなんて誰が決めた?

一般的に、美術館にあるアート作品は「触らないでください」と書いてある。この岡本太郎美術館もそうだ。それはやっぱり、万が一破損したら大変だからだろう。

ただ、僕が踏んづけてるのは少年ジャンプである。本は踏んづけたぐらいでは破損しない。つまり、僕は作品を破損してしまうことを恐れているわけではない。

じゃあ何を恐れているのかと言うと、やはり「その作品を冒涜していないか」ということだろう。「踏む」という行為は冒涜なのだ。だから「踏み絵」なんてものがあるのだ。キリスタンはキリストの絵を踏みつけられない。それは神に対する冒涜だからだ。

岡本太郎は言った。芸術は人生そのものだ、と。アート作品を踏みつけるということは、その作者の人生を踏みつけて否定する冒涜行為。だから、作者が「どうぞどうぞ」と言っていても、踏むのを躊躇してしまう。

そこでまた考える。

じゃあ、マンガ雑誌なら踏んづけていいのか?

ジャンプの表紙は、漫画家の先生が精魂込めて描いたキャラクターが飾っている。中のページにも、漫画家の人生と言える作品がいっぱい詰まっている。それを踏んづけるのはやっぱり冒涜なんじゃないのか?

大量生産の印刷物だったらいいのか? 生原稿じゃないからいいのか? でも、漫画家の先生はたとえ印刷物でも、自分のマンガが踏んづけられてるのを見たら悲しくなるだろう。

しかし、僕は無意識のうちに「アート作品は踏んじゃダメだけど、マンガ雑誌ならOK」という線引きを頭の中でしていたのだ。無意識のうちに「アート作品>マンガ」と言う格差を作っていたのだ。マンガを踏みつけるまで、そのことに気づかなかったのだ。ということは、自覚していない線引きや差別というのがまだまだたくさんあるんじゃないのか。

そんなことを考えていると、さらにおかしなことに気づく。

最初、このアートの本質は中央にある4体の仏像だと思っていた。作者の方は仏師だというし、仏像が本体で周りのジャンプは演出だと思っていた。

ところが、ジャンプを踏んづけながら歩いて行くと、視界が周辺のはずのジャンプの方に向けられる。仏像なんて見ない。なぜなら足元が不安定で、しっかり足元を見ていないとすっ転びかねないからだ。

やがて意識も足元のジャンプに向けられ、「アートは踏んでいいのか? 漫画は踏んでいいのか?」と考えるようになる。いつの間にか、中央にあって素晴らしき技巧で作られた仏像よりも、周辺にあってただ置かれているだけのマンガの方がアートの主体となっている。

転倒しないように、と歩いていると、いつの間にかアートの価値の方が奇妙な転倒を起こしているのだ。

この作品はきっと人によってほかにもいろんな発見があるのだろう。「踏んづけるなんてそんな……」と踏まずに帰る人もいるだろうし、平気で踏んづける人もいるはずだ。そこを訪れた人の心を映し出し、揺さぶる。なるほど、アートとしても、仏像としても、とても面白い。

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