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「自分と自分の大切な人を幸せにしたい(それ以外の人はどうでもいい)」が世界のあらゆる悲劇を生んでいる

「幸せになりたい」「大切な人に幸せでいてほしい」とは誰もが願うことだ。

でも、人々の「自分と自分の大切な人を幸せにしたい」の裏側に(それ以外の人は別にどうでもいい、知ったこっちゃない)という考えがあったら、願いは実現しない。

裏返せば、自分は自分以外の大勢にとって別にどうでもいい、知ったこっちゃない存在になるからだ。

自分は自分ひとりしかいないし、自分にとって大切な人は人それぞれだろう。

自分と自分の大切な人を幸せにするには、それ以外の人の幸せも考えて行動することが、遠回りに見えて近道になる。

実は、お金の仕組みもその問題でできていると思う。

「お金がないと幸せになれない」は、お金ありきの資本主義の世界であるために成り立つ。

ほんとうは、人間は自分たちの暮らしを安全で便利にするために発展してきて、すでに十分な水準に達している。知恵や創造物をわけ合えば、みんな生活ができるし、幸せでいられるはずだと思う。

だけど、「(みんなが幸せな世界ではなく)自分と自分の大切な人がより物質的に豊かで、物事を思い通りに動かせる状態にしたい」と考えた人がお金の仕組みをつくり、搾取によって物質的に豊かで権力を持つ層ができた。

「お金は価値の交換」小さな視点で見ればそうだけど、大きな視野で見ればお金をとることは搾取だ。

お金が借金によって生まれているという仕組み上、搾取なしではお金は存在し得ない。

お金という仕組みのせいで、世の中の知恵や創造物を受け取れず、生活すら満足にできなくて幸せになれない人が出てくる。

本質的には、お金も値段をつけるという行為も下品だと思ってる。もちろんそれを実生活に適用すると資本主義のなかでは大変に生きづらくなるので、現時点では必要悪だと考えるしお金は請求するし支払うけど、理想はお金も資本主義もなくなればいいと思っている。

「資本主義がなくなれば人類は発展しなくなる」という声があると思うけど、人間は発展しなくてもいい。そこで言われる発展は「経済成長」のことだから。経済はお金ありきの考え方。

人間は発展しなくていい。ほんとうにそう思えたときにこそ、人間は自然と発展すると思う。ここで言う発展は、精神的・肉体的自由を獲得して愛や知的好奇心のままに行動できるようになること。それによって新たな創造につながり、より人類の可能性が広がること。

やりたい人がやりたいことをするほうがよほど健全で建設的な発展だと思う。お金がなくても、安心して生活できていれば、人は好きなことをしながら世界をよりよくできる。

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