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いつかのあなたと。

「入学式で見た時にさ、なんて綺麗な子なんだろうと思ったんだよね」
二杯目のサングリアを飲みながら、彼女はそう言った。
高校の卒業式から早十年。入学式からは十三年になる。
女子高時代の友人たちは皆いい意味で自由で、派閥争いやマウント合戦が繰り広げられることもなく、どのテーブルからも笑い声が絶えない。
「そうだったの?全然知らなかった。」
わざと目を伏せて、意味もなく箸の包み紙をいじる。
「ほんとだよ。ふわふわの長い髪が、天使みたいだなと思った。今はストパーかけちゃったんだ、でもストレートもいいね」
照れたように微笑んで、彼女は私の髪をじっと見つめる。
短かった髪を長く伸ばし、薄めのメイクをした彼女は、少しだけ懐かしそうな眼をした。
(こんなことをさらっと言える子じゃなかったのにな。)
自分が無意識に十年前の彼女を思い出していることに気づいて、はっとする。
容姿にも内面にも自信がなくて、どうしても特別になりたかったあの頃。
私は、彼女と恋人の真似事をしていた。

********

「ねぇ、今日デートしようよ」
「うん、いいよ。どこ行く?」
放課後の教室では、そんな会話がそこかしこで交わされていた。誰が言い始めたのか、最近二人で遊びに行くことを『デート』という言葉で表現することが流行っている。
もしかしたら本当に付き合っている二人もいるのかもしれないが、大抵はお遊びだ。異性がいない環境で、皆そういうことに飢えているのだろう。勿論、それは私自身も例外でなく。
だからあの時、たまに話す程度の中でしかなかった彼女に、私から声をかけたのだ。
「ねぇ、私たちもデートしない?」
彼女は少しびっくりしたような顔をして、それからいいよ、と言った。

長身で短髪、顔の綺麗な彼女は女子高の中では一番男の子に近い存在に思えた。隣に並ぶと小柄な私とは本当にカップルのようで、遊びに出かける度に私はその疑似恋愛を楽しんでいた。周囲からは意外な組み合わせだけど仲良しだね、くらいにしか思われていなかったと思う。

彼女は真面目で優しく、私の行きたいところにいつも付き合ってくれたし、したいことにも応えてくれた。沢山の時間を二人で過ごしたはずなのに、今となっては何をそんなに話していたのか、ほとんど覚えていない。ただ、彼女から向けられる視線だけは、今でも鮮明に思い出せる。そこに、友情以上のものが含まれていたことも。

けれど当時の私は、同い年の女の子から向けられる視線にどう応えればいいのかが分からなくて、見て見ぬふりをしていた。自分のことで精いっぱいで余裕がなく、彼女の真剣すぎる瞳に向き合うこと自体が、正直煩わしくもあったのだ。
一緒にいるうちに、彼女が私よりも、いやきっとあの教室の誰よりも「女の子」であることにも気が付いていた。でも、今の心地よい関係を手放したくなくて、そして、そして多分…彼女は私に好意を持っているから、離れていかないだろうという傲慢さがあって、私は変わらず彼女に「男の子」を求めていた。彼女は何も言わず、それに応えてくれた。
学年があがりクラスが離れた後も、私たちは『デート』を重ねたけれど、お互い核心に触れることはない生ぬるい関係のまま、時間だけが過ぎていった。

そうして迎えた、卒業式当日。
私の前に現れた彼女の隣には、一人の男性が立っていた。
「えっと…いい機会だから紹介するね。実は私半年くらい前からこの人と付き合っているの」
照れ笑いを浮かべながらそう言う彼女と、頭を下げる男性。
…え?
予想していなかった言葉に、上手く反応できない。
なんで?この間だってデートしたのに…
そこまで考えて、ふと気づいた。ああ、そうだ。私には怒れない。怒る資格がない。だって、私たちは恋人同士ではなく、ただの女同士の気楽な遊びの延長だから。彼女の視線を無視して、何も返さないことを選んだのは、他ならぬ私だ。
それなのに、その全てを棚に上げて、彼女に怒っている自分に気づく。
『そうは言っても普通に男の人と付き合いたいし』
『所詮女同士なんて、今だけのただの遊びだよ』
『私たちはあくまで友達だから。その延長線上にこういうことがあるだけ』
彼女に対して口癖のように言っていた言葉たちが、胸を貫いていく。
そうだ。今だけのただの遊び。男の人と付き合えない代わり。そのはずだ。
じゃあ、この気持ちは一体何なのだろう?
混乱した頭で、私が彼女に言えたのは、たった一言だけだった。

********

「あの頃は楽しかったね。一時の気の迷いだったって笑われるかもしれないけど、私ね、本当に好きだったんだよ。」
少しの沈黙の後、彼女が切り出した。
緊張すると早口になる癖が変わっていないことに、何故か嬉しくなる。
「笑わないよ」
自然と笑みが零れる。
十年越しに真剣に気持ちを伝える彼女の生真面目さ。
薬指の指輪を見ながら、とても彼女らしいなと思う。
きっと愛を誓い合う前に、きちんと清算しておきたかったんだろう。
自分の気持ちに正直で、嘘がつけないところ。
自分がいいと思えば、人の目を気にせずに向かっていけるところ。
そんな彼女に息苦しさを感じていたはずなのに、今はそれがとても眩しい。
いや、違う。本当はあの時から、彼女を疎みながらも、憧れていたのだ。
あの入学式の日、凛と前を向くあなたを好きになったのは、私の方だったから。

だけど今それを言ったところで、私が彼女の人生に関わることはもうないのだろう。
恋愛はタイミングだと、誰かが言っていた。
だから、私たちはもうどこにも行けない。

「おめでとう、幸せに」
そう言って、彼女との会話は終わった。
最後の言葉まであの時と同じなんて、そう思った瞬間、私は少しだけ泣いてしまった。

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