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塩爺(しおじい)の由来

(はじめに)


 平成の時代を知っているほとんどの日本国民の方は、「塩爺」というあだ名の人を知っているでしょう。当時の小泉内閣の財務大臣(旧大蔵大臣)をしていた塩川正十郎翁のことです。そこで、皆さんは、この方が塩川の爺さんだから「塩爺」というのだろうと、皆漠然と想像しているに違いないと思います。しかし「塩爺」の元祖は、古事記や日本書紀に載っているのです。「塩爺」は何と2000年から2500年くらい前の大昔の昔話にすでに登場しているのです。塩川大臣に「塩爺」とあだ名を付けた人はきっとこのことを知っていたのでしょう。日本書紀には、「塩爺」はとても面白い話に登場し、人助けをするいい老人として描かれています。皆さんが、絵本などで子供の頃から知っている「海幸彦と山幸彦」の物語の中に、山幸彦を助ける「塩土老翁(しおつちのおじ)」という名前で記紀には出ています。あらすじは次のようなものです。

(1)「海幸彦と山幸彦」の物語のあらすじ


 兄の海幸彦と弟の山幸彦は相談して、試みに、兄の釣り針と弟の弓を交換して、それぞれいつもとは逆に山と海へ獲物を獲りに行きました。しかし、どちらも獲物を得ることが出来ませんでした。そこで、兄の海幸彦は弓を弟の山幸彦に返しました。一方、弟の山幸彦は、すでに借りた釣り針を海でなくしてしまっていて、探し求める方法がありませんでした。そこで、山幸彦は自分の大切な太刀を鋳つぶして、釣り針を作り箕に山盛りにして返しましたが、兄の海幸彦は、絶対に受け取らず「あの釣り針」を返せ、あれでないといけないと承知しません。弟の山幸彦は、大変心を痛め、海辺に行って、嘆き悲しんでいました。そこに、塩土老翁(しおつちのおじ)が通りがかり、「なぜそんなに悩んでいるのですか」と聞きました。答えて一部始終を話したところ、「もう心配なさいますな。私があなたのために取りはからいましょう」と言って、緻密に編んだ隙間のない竹篭を作り、山幸彦をその中に入れて海に沈めました。すると海底の美しい浜に流れ着き、海神豊玉彦の宮殿に着きました。そこで海神はこの美しい山幸彦を気に入り、自分の美しい娘の豊玉姫と結婚させ、3年間楽しく滞在させました。しかし、山幸彦はしばしば大変嘆くことがあったので、豊玉姫が「天孫(天皇の子孫という意味で山幸彦のこと)は、もしや故郷にお帰りになりたいのでは」と、尋ねましした。詳しい事情を知った豊玉姫は、父の海神豊玉彦に相談しました。海神はそこで海の魚どもを全て集めて、例の釣り針の行方を尋ねました。ある魚が答えて、「赤女(あかめ)という名の鯛が口を患っております。もしかしたら・・・」というので、赤女の口の中を見ると、この釣り針が見つかりました。海神はこれを山幸彦に差し上げ、次に「潮溢之玉(しおみつたま)」と「潮涸之玉(しおふるたま)」の二つも奉った。・・・・(さらに面白い話がもっと続く)・・・・、という九州の隼人に伝わる昔話です。以上のあらすじからわかるように、「塩土老翁(しおつちのおじ)」は、山幸彦の窮地を救う決定的な役割を果たしています。

(2)塩爺の本来の意味と由来


 「塩土老翁」は、親しみを込めたあだ名で本当の名前は、「事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)」といい、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子(みこ)です。日本神話の伊弉諾尊は、西洋神話におけるアダムとイブのアダムに当たります。「塩土老翁(しおつちのおじ)」はその子で、「塩土(しおつち)」は「潮ツ霊(ち)」の意味であり、潮流を司る神のことです。潮路に乗って「新しい」情報を提供してくれる神なので、「老翁(おじ)」と親しみを込めて呼んだようです。

(おわりに、塩爺への期待)


  従って「塩爺(しおじい)」というのは、時代の新しい潮流を司り、今の日本の救世主となるという意味が込められたニックネームらしいのです。そこで、あの「塩爺」が今も生きておられたら、山幸彦の窮地のような今の日本の苦境を助けてくれるのじゃないかと「塩爺」に期待するのは、私だけではないでしょう。
 
 
*なお、冒頭の塩川 正十郎氏の写真は、下記のURLのWikipediaから引用させていただきました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%B7%9D%E6%AD%A3%E5%8D%81%E9%83%8E
最終更新 2023年8月2日 (水) 11:00
 
 
平成14年(2002年)6月16-17日随筆
令和5年(2023年)9月5日 加筆

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