電車

今日は昼から都心に行く用がある。
みんな私服姿が多く、座席に空きが多い。

朝は、全く逆である。皆それぞれの、場所に-時間に間に合うように-向かう。会社員、就活生、学生。鮮やかな私服姿はなく、黒白のコントラストが車内を埋める。座れるのは、より遠くに住んでいる人間だ。
乗客の姿を見て何を考えているのか空想する。
やっぱり仕事に行きたくないのかな。

世界の乗車数ランキングでは、
1位:新宿駅約340万人(2015年)
2位:渋谷駅約324万人(2015年)
3位:池袋駅約262万人(2015年)
4位:梅田駅約240万人(2015年)
5位:横浜駅約224万人(2015年)
6位:北千住駅約153万人(2015年)
7位:名古屋駅119万人(2013年)
etc

ちなみに日本以外は24位のパリ北駅(フランス・パリ)からの登場である。
満員電車を経験したのは、大学2年生の春からである。新宿でボランティアをしていた時の、22時頃。家路に向かう車内に多くの人が舞い込む。その時の私は座れたか、座れていないか、思い出せない。ただ蒸し暑かった感情だけ思い出す。
座っている人間の大半は、眠っていた。お疲れ様。

私はまだ学生なので、多くは語れないが社会人の方は本当に尊敬する。ただ尊敬の方向は社会貢献度とか仕事の重要性ではない。ただの同情に近い感情が敬愛を生み出す。毎朝、同じ時間に仕事に向かい、同じ時間に終わるルーティンを数十年以上続ける。

彼らも昔、やりがいや誇りを持って仕事をしたいと面接官に語り入社していったのだろうか。みんな最初は「特別」を語り、「普通」になって行く。私が人の気持ちを代弁するほどの人間ではない。私も凡人だ。
だから、人に自分を語る時、着飾る事が出来ない。
企業面接の時自分がやった事を語るのが歯痒くして仕方がなかった。ただ特別を語り、有能さをアピールしないと社会は自分を認めてくれない。行動よりも言葉で選考する時代だ。その時放つ言葉の羅列にどこか息苦しさを感じていた。

満員電車でいる人達は、どんな気持ちで乗っているのだろうか?みんな好んで乗りたいわけがないと勝手に決めつけてもしょうがない。それしか選択肢がないものに否定的になると自分を苦しめるだけである。

満員電車を過ごす、人の群れはまるで-マクロな視点から見て-組み込まれたシステムが起動するために行動しているように見える。でも別の-ミクロの-視点をから見るとそこには、様々な思想が脈動している。
そんな事を考えているとまだ気持ちが楽になる。気休めかな。

昼下りに乗る電車には、社会システムが無いように見える。乱雑に空いた座席。親子との会話。色とりどりの私服。見えていると幸せな気分になる。同じ電車の中での差がより助長している。

来年になったら私も満員電車に揺られて、同じシステムの一部になるだろう。その時は、昼の電車を思い出す。ああ、窮屈な場所にも余裕があるんだな。
その時私たちは特別になる。

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