浦島女子~29歳・竜宮城からの帰りどき~

 大学進学で上京し十年、一度も帰らなかった故郷へ私は戻って来た。降り立った駅は、記憶の中のものより新しい。改装したのかもしれない。

 もう来年で三十。東京で一人暮らしを続けるのは疲れてしまった。    

「美咲は東京でOLさんやっとったんかね、えーね。学歴もあるしエリートさんじゃが」 

駅でばったり会ってしまった同級生の由里はそう言ったが、実際は暮らしていくのがやっとの状態だった。大学院を出たくせに、就活に苦労し、拾われたのは下請けの下請けであるシステム会社。毎日残業して疲労がたまるばかり。タクシー帰りに高い家賃で、貯金もできない。結婚もしたいけど出会いがない。

そんな生活に見切りをつけたとき、一番戻りたくなかったここしか、帰るところはなかった。

「由里はもう二人のママなんだ。えらいね」

 私たちの傍らでは、由里の二人の子供がけらけらと走り回っている。聞けば同級生はみんな子持ちらしい。都会が羨ましいなんて嘘。だってみんな幸せをつかみ、愛し愛され、家に守られお金の心配もなく、おまけに綺麗だ。仕事で精いっぱいだった私の方が野暮ったいくらい。 

「空き地だったところに、二年前ショッピングモールができたんよ」

 帰りに由里の言う空き地を回ってみた。この歳で昼間に歩いているのは私くらいのもので道は広々としていた。この町で車は一人に一台が常識だ。

 空き地には確かに、どでかく派手なモールが出来ていた。周囲の畑だった土地も均され、新しい道ができ飲食店がぽつぽつと並び始めている。ここだけバブル期みたいだ。 

モールへ続く真緑に塗り直された橋から、川を見下ろす。この川には鮎が泳いでいて、サワガニだっていた。ここらの子は中学生になっても川へ入って遊んだし、空き地では秘密基地をつくり、鳥の巣を観察した。いまや川はコンクリートでつるつるに固められ生き物なんて見当たらないし、空き地はモールの駐車場と化しカラフルな車で埋め尽くされている。

お前の思い出なんて、どこにも存在させないというように。

 「どうしてこんな風になっちゃったか」

 ここで一緒に遊んだ同級生たち。その中で私が飛びぬけて賢い子だったはず。なのに今、私が何一つ成し遂げない内に、同級生たちは立派に人の親になり家を継いでいる。私が東京というきらびやかな都に惹かれて何年も帰らない内に、私の知っている町は消えてしまった。都会は田舎者には厳しいし、田舎の故郷は裏切り者に優しくない。 

「誰も私に優しくしてくれんが」

 久しぶりに、東京ではひた隠しにしたここの言葉を口にした。もう標準語に慣れすぎて、故郷についてからも、口に出すのは気恥ずかしい。

 私はこの町で、いつも膜に包まれているような気がしていた。小学校からの力関係がずっと続く友達。どこの家の子かみんな知っている地域の人。それがうっとおしくて、もっとはっきり鮮やかに物を見たかった。

 小学生の頃、都会から転校生がやって来て、地域になじめずやがて都会へ戻って行った。私はその子と話してみたかったけど、田舎の空気に逆らえなかった。その何も出来なかったことが、私の都会への憧れを一層つのらせたかもしれない。

 だから正々堂々、大学進学という手段でここを脱出した。東京での十年間、あの転校生に会えることはもちろんなかったけど、煌びやかで美味しいものも楽しいこともいっぱいの街は、どこか物語の中みたいだった。一年がとても短く感じられて、気分は二十歳のままにいつの間にか三十手前になっていた。

 豪華な都会は、ふと我にかえれば私に何も与えてなどいなかった。助けることをしなかった私への、転校生の仕返しだったのかもしれない。帰ろう、どこへ?帰る所はこの田舎だけだったのに、私の居場所はもうここにもなかった。 

たまらず私は一本道を走り出した。小さい頃から何度も走った道を、全速力で走りぬけていく。

途中途中車の窓から「美咲じゃねーか」家の庭先から「美咲ちゃんじゃが」田んぼの中から「久しぶり!」同級生や近所の人が口々に声を掛けてくる。

嘘みたいに人工的になった町にも、私を覚えている人は住んでいて、誰も私を拒絶してはいないようだった。

 私は必死で手をふり答えながら走り続けた。変わってしまった川も空き地も、通学路もどんどん目の前を遠ざかっていく。知っている町とはもう、ずいぶん変わってしまった。それなのに、家までの帰り道はちゃんと分かっていた。 

「ただいま」

 飛び込むように玄関を開けると、「お帰りぃ」父と母が揃って出迎えてくれた。何も変わっていない実家、玄関先の風景だった。 

大丈夫、私の町はまだここにある。私が居なくなったわけでもない。どんなに変わってしまっても、それはここにあるんだ。 

都会のように誰もが憧れたり、煌いたりしない。だけどどれほど嫌っても避けても私の一部。小さなほんのりした光がここに、まだあった。 

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